志賀直哉の五女・田鶴子さんの婚家・山田家から昨秋に市白樺文学館に寄贈された資料約二百点の内、今回は六十点ほどを展示。東京都内に住む孫の山田裕さん(69)へ譲られた遺品で書は五点で、中国・唐の詩人劉商が友人王永に贈った漢詩が含まれている。志賀が書をしたためた年代は不明だが、10号サイズの油絵(画像クリックで拡大)は、深皿に盛られたパイナップル、リンゴなどの果物が描かれ、裏に「昭和二十年一月 前作より写す 世田谷新町にて」の記載がある。
志賀は一五〜二三(大正四〜十二)年、我孫子で暮らし、この間に「城の崎にて」「和解」、自身が「小説の神様」と呼ばれるきっかけとなった「小僧の神様」などの作品を発表した。稲村学芸員は「当時の小説家は現代の芸能人に近い存在で、油絵や書は文化芸術分野について志賀の能力の高さを示している。人間志賀直哉を感じられ、非常に価値がある」と指摘する。
異彩を放っているのが、高さ約六十センチの人形。志賀が我孫子に暮らしていたころ、スペイン風邪の感染が世界的流行となり死者も多く、パンデミックとなった時期も重なる。志賀は我孫子に転居して、生後間もない長女と長男に先立たれたことも経験した。人形(クリックで拡大)は右襟を上にした「左前」の死に装束姿で、悲しみに沈む妻を慰めようと志賀が買い求めてきたと、伝わっているという。
なお、新型コロナウイルス感染症対策のため、地階(音楽室)の閉鎖 人数制限の実施マスクの着用をはじめ、ご協力をお願いします。
なお、館内エレベーター工事のため、8月3日(月)から9月30日(水)まで休館です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e073d60466c173edc8ba63323bdd1e70b8a374af
参照;東京新聞(6/10)