2020年07月26日

教養とは、新しい分野への好奇心

塩野七生『生き方の演習 若者たちへ』(朝日出版社)

イタリア語にアルテという言葉があります。これは芸術と訳されることもありますが、アルティザンというと職人のことで、イタリア語でアルティジャーノと言うのですけれど、アルテはそのもとの言葉で、本来は専門の技術という意味です。おそらく、職人がひとつひとつの専門をもっていたということからきたのでしょう。

ところが、ルネサンス時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに盛んだったのが工房でした。ミケランジェロもそこで修行しているし、レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつだけを専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。

彫刻家であっても、画家などの仕事にも通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻家でも、画家的な視点で人間を見れば、また別の見方ができると考えたわけです。それが、いわゆるルネサンス人なんです。その典型がレオナルド・ダ・ヴィンチですね。彼は万能の天才と言われていますが、それは、ルネサンスでは、万能というよりもすべてを押さえるというような意味なんです。つまり、彫刻ではどういうようなやり方をするか、建築家はどんなふうな作り方をするか、彫金家はどんなふうにするかと、そういうことをすべて押さえると、今度は絵を描く時、今までの画家とは違った絵が描けると彼らは考えたんです。

そういうルネサンス時代の教養が、私は教養というものの原点だろうと考えるのです。つまり、ルネサンス時代の教養というのは、他の人たちの専門分野にも好奇心を働かせるという意味なんです。イギリスのジェントルマンの時代の田舎暮らしを優雅にするためというような、概念とは違うわけです。

教養は、イタリア語ではクルトゥーラと言います。この言葉の語源であるコルティヴァーレという言葉になると「耕す」という意味です。他のことをやっている、そういう人たちの仕事も、自分は知りませんなどとは言わずに好奇心を働かせて理解する。そうすると、自分の専門技術だけでは達成できなかったことも達成できるかもしれない、ということなんです。


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塩野氏の教養の原点は、他の分野への好奇心によるということのようで、その最たるルネッサンスの教養に好奇心を駆り立てられたということなる。18世紀から19世紀にかけて、イギリスのお金持ちの間で流行した「Grand Tour」の指南書(旅行ガイド)に「ナポリを見ずして死ぬな」と書かれて、教養を深めるように勧めました。今ではイタリア語、ナポリ語にも訳されて、ご当地の諺であるとされてきているそうです。ほかにすべての道は「ローマに通じる」というのもありますから、人、モノ、ことがイタリアに集まっていく、コロナ禍もそうでした。
posted by Nina at 00:00| 千葉 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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