上野公園噴水広場では、12月初旬の土日に『関東甲信地区総合錦鯉品評会』が開催されている。
「泳ぐ宝石」とも呼ばれる美しさを誇る観賞魚・錦鯉。錦鯉発祥の地といわれる新潟県長岡市、小千谷市で生産された錦鯉の多くは、欧米はじめアジアの各国に輸出されており、海外の愛好家から熱い視線が注がれている。中でも老舗の「伊佐養鯉場」の4代目伊佐さんによると今は40〜50カ国の方が買い求め、売上の約8割が外国人買い物客だという。
その歴史は江戸時代にさかのぼり、この地区に住む農民が、一部の鯉が他のものより明るい色をしているのに気づき、それを捕まえて育てたとされる(通常であれば他よりも明るい色は鳥やその他の捕食者に見つかりやすいため、その魚は生存しにくくなる)。小千谷市と山古志村で錦鯉の養殖が盛んになった背景に、1.冬期の非常食用として休耕田に鯉を養殖する習慣があり、2.山間部ゆえに隠田が多く存在し、比較的裕福であった、という2点が挙げられる。余裕のある農家の趣味として錦鯉の交配が進み、質の良い個体が売買されるようになった。それ以降も養殖は進み、20世紀までには数多くの模様が開発された。最も顕著なものは、赤と白の「紅白」と呼ばれるものである。1914年の東京博覧会に出品されるまでは、開発の程度が世に知られることはなかった。
錦鯉は数百円のものから数千万円がおり、スタジオにいたアフラによると「幸運の魚」として人気であるなど話す。イギリスに住むラッドさんは20年毎年買い求めていると話す。錦鯉は全国から集められた錦鯉を審査する国際品評会も行われるようになった。振り返ると、中越地震の起きた2004年、壊滅的な打撃をうけたのが小地谷・山古志地域だった。
そんな時も、応援し続けたのが26年にわたって錦鯉の輸出に携わるアメリカ人、ビジェラ・ルネさん。
この東京博覧会から、錦鯉への関心は日本中で爆発的に広まった。さらに、錦鯉を飼う娯楽はプラスチック袋の発明以降は世界に広まり、飛行機や船の技術の進歩により、錦鯉の輸出は速く安全なものとなった。これらの要因により、錦鯉を低い損耗率で、世界中へ輸出できるようになった。現在は、多くのペットショップで広く売られており、専門のディーラーを通せば特に高い品質のものを買うこともできる。
日本からの錦鯉の輸出額は2017年で36億3300万円で、10年間でほぼ倍増した。出荷先は香港や欧州(ドイツ、オランダ)が上位。1匹2億円以上で取引されることもあり、全日本錦鯉品評会には外国から出品する愛好家も多い。愛好者が多いアメリカ合衆国で小売りを行う日本企業や、日本から輸入したニシキゴイを繁殖させて販売する中華人民共和国の事業者もいる。
2019年12月05日
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