2020年02月08日

古墳、郷土資料館のありようを再確認

熊本・玉名視察より戻った。今回、往復の機内ではほぼ95%がマスクで着座していたのは、新型コロナウイルスの影響であろう。観光客がめっきり減ったのと土産物店の店員が話していたし、宿泊先にあったテレビでニュースをみると京都に観光客が激減した様子を取り上げていた。

熊本県玉名郡和水町(合併前は菊水町)は、視察先の玉名市隣接している。そこには、国指定史跡とされている 前方後円墳がある。5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62メートルあり、盾形の周濠がめぐらされていた。清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことは、日本最古の本格的記録文書であるで著名であるとされた。この他にも、豊富な副葬品が出土しており、それらの大部分は東京国立博物館に所蔵され、1965年(昭和40年)に国宝指定となった。

江田船山の近隣施設として開設された、菊水ロマン館は道の駅とのイッチ付で物産販売施設などを備え開設、光明石温泉、レストランを備え、近くに肥後民家村も開設されて、開設当初は宿泊施設でもあったが、今は申し入れによって宿泊可能な主に体験施設としての場所になっている。

当の我孫子市でも、手賀沼周辺において多数の古墳が発見され、中で水神山古墳は手賀沼西部北岸の台地上に所在する千葉県北西部地区最大の前方後円墳で、古墳の形態から大和王権とのつながりが推定されるなど、多数の古墳がある。水神山古墳は墳長69メートル、周溝を入れた全長81.5メートル、後円部径36メートル、高さ5メートル、前方部幅33メートル、高さ2.5メートル。埋葬施設は後円部墳頂に存在し、木棺形態は割竹形とみられ、長さ5.13メートル、幅0.7メートルを測る。前方部墳丘上からは球胴形の土師器甕、坩破片が出土している。千葉県指定史跡(平成4年)になっている。水神山古墳に近い所に、道の駅のような建物「水の館」ががある。我孫子産の農産物、物販をしていており、手賀沼の向こう岸には天然温泉・手賀沼リゾートがある。

我孫子市には、県指定有形文化財(考古資料)となってた出土品の多い、金塚古墳(根戸1340番地に所在)もあり、こちらは直径約20m、高さ2mの円墳である。手賀沼を望む台地上につくられた我孫子古墳群の中では、もっとも西に単独で位置している。東京大学文学部考古学研究室によって、昭和38年11月10日から24日にかけて、墳頂部及び墳丘斜面、南側の周溝が発掘された際出土した石枕1点、立花(りっか)1点、銅鏡1面、短甲1領、鉾1点、鉄鏃2点、円筒埴輪10点、朝顔形埴輪1点、須恵器大甕1点、土師器埦1点、土師器坏1点の計21点が確認された。他に鉄製品である短甲についても適切な保存処理が行われ、千葉県の5世紀後半の古墳から出土する特徴的な遺物の組み合わせである貴重な遺物群と認められた。

古墳の築造時期は、墳丘形態や出土遺物から4世紀代であろうと考えられるそうです。手賀沼北岸の古墳はその多くが6世紀代に築かれたものだが、水神山古墳はそれらよりも古く、しかもこの地域では突出した規模の前方後円墳なのが特徴である。過去に盗掘を受けて、出土遺物はあまり多くないが、棺内から青色ガラス管玉1、滑石管玉1、青色ガラス小玉約280、刀子2、針数本が検出され、棺床には朱の散布が確認されている。我孫子で 宅地造成が盛んになった1965年(昭和40年)ころから、遺跡発掘がされるようになり、宅地開発で転居してきた古代史・西嶋教授の関連で東京大学考古学研究室により発掘調査が行われるようになって、市民による市史研究が盛んになった。

近年では、根戸船戸古墳から「頭椎大刀(かぶつちのたち)」1本、このほかに大刀3本、鉄鏃約120本など多数の遺物が出土した。全国で巡回展示される埋蔵文化財の企画展「発掘された日本列島2017」(文化庁など主催)に、我孫子市の「根戸船戸遺跡1号墳」から出土した古墳時代の大刀「頭椎大刀」が出展された。鉄地に銀象眼を施したものもあるが、一般には金銅製で、表面が滑らかなものと、数条の畦目(うねめ)がつけられたものとがある。鐔(つば)は大きな倒卵形で、鞘(さや)も金銅の薄板に連珠文を打出しの技法で表現し装飾的であり、かつ1メートルを超す大形である実戦用というよりので仗(ぎじょう)用の大刀と考えられる。頭椎の名は記紀に「箇歩豆智(かぶつち)」とあるところから、江戸時代以後よばれるようになったといわれる。

https://www.city.abiko.chiba.jp/kouko/tenjishitsu/kofun/nedofunato.html

なお、千葉県内の古墳に関して観ると、芝山町には400基が発掘されて、柴山町はにわ博物館では、出土品を展示している。
なかでも殿塚・姫塚古墳群は1956年(昭和31)早稲大学によって発掘調査され、墳丘からともに多くの形象埴輪を出土したことで注目された。殿塚は全長86メートル、二重の周湟(しゅうこう)をもって西面する前方後円墳で、後円丘南側に両袖)型横穴式石室があり、玉類、金銅製鈴、銅鋺(どうわん)、直刀(頭椎大刀を含む)、金環などが出土した。姫塚は全長58.5メートル、周湟をもち西面する前方後円墳で、殿塚の北30メートルに位置する。前方丘南側に横穴式石室があり、玉類、金銅製飾金具、方頭大刀、金環、馬具類、土師(はじ)器、須恵(すえ)器、鉄鏃(てつぞく)などが出土した。墳丘南側に朝顔形円筒埴輪と円筒埴輪を立て、低地に面した北側墳丘中段に男性1、馬と馭者(ぎょしゃ)各4、武人2、男性群、女性5、男性群の順序に埴輪列がみられ、行列の少し上段から琴を膝(ひざ)に置く人物埴輪、墳丘裾(すそ)にひざまずく男の埴輪がある。形象埴輪群が原位置に完存したまれな例であり葬送儀礼研究の重要資料である。これらは国指定文化財となっている。京成電鉄成田駅から空港シャトルバス「横芝中台」下車、徒歩約5分。

こうした町の宝を地域の財産として公開し、多くの人が見て、人々の過去からの営みを認識できるようにするのは、やはり公共のなすべき務めだろう。我孫子市は残念ながら、下記に示した小さな資料室が近年オープンされたものの、多くの人が関心を持てるように土日・祝日に自由に覗くことができない、何とか工夫の余地がないかと思うところだ。

湖北郷土資料室
開室日時:月曜日から金曜日 午前9時から午後4時30分(入室は午後4時まで)
場所:湖北行政サービスセンター2階(古戸171の2)
※行政サービスセンター1階で受付手続きをしてから入室してください

参照:あびこ電脳考古博物館

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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