宮内庁が2020年の歌会始のお題を「望」とし、毎回年初に、お題が発表されるが、応募要領を発表したのは即位の礼の行われた2019年5月だった。国民のだれでもが応募でき、歌は未発表の自作で、1人1首とされる。この度の短歌には「望」の文字が詠み込まれればよく、「希望」「望郷」 のような熟語や、「望む」といった訓読でもよいということだった。来年は、「実」半紙に自筆の毛筆で応募(9月末日まで)で、詳細は宮内庁HPに掲載されている。
短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれる。この儀式は、古来のしきたりに則って、読師(どくじ:司会役)、講師(こうじ:全句を節をつけずに読む役)、発声(第1句から節をつけて歌う役)、講頌(こうしょう:第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行する。これほど長い歴史を有する宮中の歌会始は、世界に類がなく、しかもあらゆる人が参加できる詩会であるので、このごろは海外からも寄せられる。宮中の年中行事の最初の月に、これらを披講して皇室と国民の心を親しく結ぶとされてきた。
毎年恒例となっている1月の歌会始の儀は、松の間にて天皇皇后両陛下の前で、一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人(めしうど)の歌、皇族殿下の歌、皇后陛下の御歌(みうた)と続き、最後に御製(ぎょせいが)披講(ひこう)されれてきた。
令和の初御製
学舎に ひびかふ子らの
弾む声 さやけくあれと
ひたすら望む
皇太子殿下をはじめ皇族方が列席、文部科学大臣、日本芸術院会員、選歌として選ばれた詠進者などが77名が陪聴する。
歌御会始の起源は明確ではないが、鎌倉時代中期に亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われたことを『外記日記』により「内裏御会始」と記していた。以後、年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから歌御会始の起源は少なくとも鎌倉時代中期まで遡ることができる。江戸時代にほぼ毎年催され、明治維新後は明治2年(1869年)1月に明治天皇により即位後最初の会が開かれた。明治7年(1874年)に一般の詠進が認められ、それまでは皇族・貴顕・側近だけであったのが、国民も宮中の歌会に参加できるようになった。明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし、歌御会始で披講されることとなった。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり、今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したといえる。さらに明治15年(1882年)からは、御製を始め選歌までが新聞に発表されるようになり、明治17年(1884年)からは官報に掲載されるようになった。
天皇が催す歌会は「歌御会(うたごかい)」といい、宮中では年中行事としての歌会などの他に、毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されている。特に、これらの中で年の始めの歌会として、天皇が催す歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」という。
2020年01月16日
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