モンゴル国境付近で旧ソ連軍と日本の関東軍が衝突したノモンハン事件から80年となった。事件を機に日本では対ソ開戦論が後退し「南進論」が優勢になった日本軍にとって不毛の開戦であった。それは1939年5月、モンゴル国境付近で、旧ソ連の影響下にあったモンゴルと、日本の傀儡だった旧満州国の国境をめぐって起きた大規模戦闘である。日本の関東軍は大本営の戦闘不拡大方針に反して攻勢をかけたが、モンゴルを支援したソ連軍の総攻撃を前に大敗を喫した。9月15日の停戦成立までに計4万人を超す死者が出たとされる。
この記念日を前に、ロシアのプーチン大統領は9月3日、モンゴルの首都ウランバートルを訪問し、同国のバトトルガ大統領とウランバートルの宮殿内に設けられたモンゴルの伝統的な天幕家屋で会談した。プーチン氏は事件を日本による侵略とした上で、ロシアとモンゴルの共闘と友好関係を誇示した。会談後の記者会見で「ソ連軍とモンゴル軍は80年前、肩を並べて戦い、侵略者に手痛い反撃を与えた」と指摘。
近年のプーチン政権は、第二次大戦での対ドイツ戦と日ソ中立条約を破っての対日参戦を「ナチズムとの戦い」とひとくくりにし、北方領土占拠の正当化を図る傾向を強めている。プーチン氏は「ハルハ河会戦(事件の露側呼称)がソ連とモンゴルを結びつけた」と力説した。バトトルガ氏も「両国の友情の下でモンゴルの独立と主権を守った勝利は神聖なものだ。80年の節目にプーチン氏と会えたことは非常に喜ばしい」と述べた。両首脳は3日、恒久的な友好協力関係をうたった。5日に露極東ウラジオストクで安倍晋三首相との日露首脳会談を控え、プーチン氏には、ノモンハン事件を日本による一方的な侵略と位置付けることで日本を牽制する狙いがありそうだ。
参照:産経新聞9/3
1936年、日本はナチス・ドイツに与し、ソ連に向けられた日独防共協定を結んだ。これは当然、日ソ関係が悪化することを意味する。1938年、日ソ両軍は初めて、ソ連と満州の国境にあるハサン湖付近で衝突した。いわゆる張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)だ。日本軍は、ソ連の主張する国境線の外へ追い出され、ソ連が勝利した。
1939年の時点までに、日本はその故郷の列島よりはるかに彼方に帝国とその影響圏を拡大していた。日本は朝鮮を併合し、現在の中国東北部(満州)に、傀儡国の「満州国」を樹立した。ということは、日本は、ソ連とその同盟国であるモンゴル共産主義政権と直接衝突する危機に瀕したということで、慎重にバランスを取らなければならなかった。
ハルハ河はモンゴルの川で、日本によると、モンゴルと満州国の国境であるべきだったが(日本国内にも異論があった)、モンゴル(およびその強力な同盟国であるソ連)は、国境はハルハ河の東方約20キロにあると主張していた。
2019年09月05日
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