2019年07月24日

反文意識の報道

ジャーナリストの櫻井よしこ氏と元・駐日韓国大使館公使で『統一日報』主幹の洪ヒョン氏が、共著書である『韓国壊乱 文在寅政権に何が起きているのか』(PHP新書)で「元徴用工問題」について語り合っている。
ここでは同書よりその一部を抜粋し紹介する。

*********.

原告4人は元徴用工ではない!

【櫻井】2018年10月30日、韓国大法院(最高裁)が新日鐵て つ住金(旧新日本製鐵)に、「元徴用工」4人への損害賠償金として4億ウォン(約4,000万円)の支払いを命じた判決が下されました。10月11日の国際観艦式に日本の海上自衛隊の旗を掲げないように要求した一方で、豊臣秀吉軍を破った李舜臣(イ・スンシン)の旗(抗日旗)を韓国軍艦に飾ったこと、2015年末に国際社会が注目するなかで日韓両外相が発表した、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決の蒸し返しなど、文政権の横紙破りは非常識極まります。

元徴用工問題に関しては周知のとおり、1965年の日韓協定によって請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」のであり、日本にとっては受け入れられない判決です。 加えて、安倍晋三首相が国会で明言したように、原告4人は元徴用工ではありません。これは、朝鮮問題専門家でシンクタンク「国家基本問題研究所」の研究員である西岡力氏が、韓国大法院の資料を読み解くなかで発見したことです。

朝鮮半島の人びとを日本企業が募集し始めたのは、1939年です。徴用は44年9月に始まり、翌年3月ごろまで約半年間、続きました。注目すべきことは、この間ずっと、募集枠を大きく超えて万単位の労働者が日本に働きに来ていたことです。

統計を見ると、少なくとも16,000人の労働者が不正渡航を理由に、朝鮮半島に送り返されています。それだけ日本における労働条件がよかった、と いうことでしょう。 今回の裁判の原告4人も企業の募集広告を見たり、役場から勧められて応募したりして、民間企業の賃金、待遇の諸条件に納得して働きにきました。彼ら全員が徴用の始まる44年9月以前に渡日しており、そこまでを徴用とは言いませんから無関係です。

ところが、韓国の司法は民間企業の募集で渡日した労働者も含めて全員を「徴用」と見なしています。

韓国には、日本による併合は違法で無効だったからその間に起きた事はすべて強制されたと決めつけようとする勢力が存在します。しかし、反日政権だった盧武鉉氏でさえ、日韓請求権協定の内容は否定できませんでした。それがいま、最高裁で否定される次元に来てしまった。この背後にある深い闇の実態を伝えなければなりません。

【洪】日本の人たちは、文在寅政権と韓国を同一視しています。保守勢力を中心に、多くの韓国人が文政権のやり方に怒っていることを、日本のメディアは伝えてくれません。われわれは文政権の下で起きている異常事態に、日本人と同じくらい怒っているのです。革命政権の文氏が日本を不条理に責めたてるように、韓国の大半の国民に対しても親北朝鮮社会主義革命を押しつけています。このような文政権に対し、韓国内で反対の狼煙が上がり始めました。

予備役将官大将(ジェネラル)の会である星友会が、このままでは北朝鮮に韓国が席巻されるとして、文政権の対北宥和策に警告を発しました。また昨年9月21日には、民間人3,000人が文氏を与敵罪で告発しました。この告発は有罪になれば死刑しかない、重いものです。 文在寅が秘書室長として仕えた盧武鉉元大統領も在任中、反逆罪で告発された。それでも文大統領は訴えられた3日後の24日からの訪米でも、金正恩の非公開メッセージをトランプ大統領に伝えるのが主目的であると自任し、恥も知らず主敵の特使のように振舞い続ける。 文大統領を與敵罪で告発したのは、安保と経済を破壊している主思派政権への国民抵抗の噴出だ。すでに「南北韓軍事合意無効化国民署名運動」も始まった。

元大使の外交官らが、文政権は韓国の安保体制を蹂躙しているとして「弾劾」の声明文を発表しました。当初、大使30人で始まった告発ですが、参加希望の元大使らが次々に集まり、50人まで増えました。いざとなると弱腰の外交官でさえ、文政権に反対表明をするようになったのです。日本のメディアはなぜこうしたことを伝えないのでしょうか。


【櫻井】洪さんは現在、日本で刊行されている新聞『統一日報』の主幹を務めていますが、かつて在日韓国大使館の公使でした。日本との関わりは、かれこれ40年になります。

【洪】心ある韓国人は皆、文政権の暴挙を恥じている。日本の政府も国民も、韓国国民と文政権を同一視しないで対韓政策を考えるべきで、そうしなければ事態はますます悪い方向に進む、と懸念します。


【櫻井】一方で、前にちょっと触れたように、首相が重要なことを指摘しました。この裁判の原告4人は徴用工ではなく、民間企業の募集に応じて渡日した「旧朝鮮半島出身の労働者」だったということです。とても大事な点です。

徴用とは「国家権力により国民を強制的に動員し、一定の業務に従事させること」(『広辞苑』)です。いったん発せられれば、国民は拒否できません。

これまで韓国側は無論、私も含めた日本のメディアは皆、4人の原告を「元徴用工」だとしてきました。日韓両政府もそのように呼んできました。司法の場で「徴用工」といわれてきたことをそのまま信用してきたわけです。ところが原告4人は全員が、募集に応じた労働者なのです。4人のうちの2人は43年9月に平壌で日本製鐵(新日鐵住金の前身)の工員募集広告を見て応募し、面接に合格して募集担当者に引率されて渡日し、大阪製鐵所の訓練工となりました。もう一人は41年、大田(テジョン)市長の推薦で勤労奉仕の「報国隊」に入り、日本製鐵の募集に応じ、担当者に引率されて渡日し、釜石製鐵所の工員となりました。 最後の一人は43年1月、群山府(現在の群山市)の指示で募集に応じ、日本製鐵募集担当者の引率で渡日、八幡製鐵所工員となっています。

つまり、4人とも徴用の始まる44年9月以前に、募集に応じて日本に働きに来た人たちだったので、徴用ではなかったのです。彼らに対する処遇は、日本の男性の多くが徴兵され、戦争が長引くにつれて国内産業を支える人手不足が顕著になっていた状況の下、総じてよかったといえます。

朝鮮半島での戦時労働動員には、三つの形態がありました。第一は、1939年から41年に企業の募集担当者が朝鮮に渡り、実施した「募集」です。 第二が、42年から44年9月までの期間、朝鮮総督府が各市・郡などに動員数を割り当て、行政の責任で募集し民間企業に割り振った「官斡旋」です。お役所が仲介した募集ですが、職場や職種について納得がいかなければ断る自由がありました。 第三が、44年9月から45年3月ごろまで発動した「徴用」で、そこが焦点になっているはずでした。

既に1965年の日韓請求権・経済協力協定の第二条は「国及びその国民(法人を含む)」の請求権問題は「完全かつ最終的に解決されたこと」を日韓両国が確認する、と明記しています。 賠償などの請求権問題は、個人のものも法人のものもすべて解決済みだ、と両国政府が確認したのです。 日本政府は当時、念には念を入れて日韓間の議事録も交わしました。そのなかに、請求権に含まれるもの、つまり、すべて解決済みとされるものは何かについて8項目にわたる説明があります。戦時徴用労働者の未払い賃金と補償も含まれており、解決済みであることを二重三重に明記しています。したがって安倍晋三首相が、判決直後に間髪を入れず「国際法に照らしてありえない判断だ」と述べたのは当然なのです。


出典:PHP Online 衆知(Voice)
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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