2018年04月01日

あっちこちでの思い出

ジョンの最初の妻・シンシア・レノンは3年前に亡くなっていた。その際に、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターらから追悼メッセージが送られたが、オノ・ヨーコの追悼文にはジョンのファンから批難もあがったのだという。


シンシアは1939年9月11日、英国リヴァプールの北に位置するブラックプールでパウエル家に生まれる。1957年、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学した翌年に、ジョン・レノンと出会う。1961年、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートを卒業する。シンシアが妊娠したことで、1962年にジョンと結婚。二人の間には1963年に、のちにミュージシャンとなる息子ジュリアン・レノンが誕生している。ビートルズの成長を目の当たりにし、スウィンギング・シックスティーズと呼ばれた華やかな時代をKenwood in the Surrey town of Weybridge に家を持ち、1964−1968年を共に暮す。その期間はジョンのロンドンでの活動が盛んであり、彼女が同行することもあった。しかし、前衛アーティストの日本人女性と親密になり、別居。慰謝料を受けとり、シンシアはジョンと1968年11月8日に離婚。シンシアはジュリアンを引き取る。

その後、イタリア人のホテルオーナー Roberto Bassaniniと1970に再婚、1976離婚。.
1978にランカシャーのエンジニア John Twistと再々婚,4年後に離婚, 名前をレノンに戻す。その後 Jim Christieと出会い、17 年間ともに暮らした。4度目の結婚は、クラブオーナーのノエル・チャールズとであって、スペインのマヨルカ島に移る。ノエルは2013年に亡くなり、 晩年のシンシアは癌の闘病中であった。2015年4月1日、自宅にて死去。シンシアの最期は息子のジュリアンがみとった。

CBSのトーク番組「60 Minutes」で、ポールはジョンがただ一度だけ賛辞を送ってくれたと話したことがあった。ビートルズ時代のレノン&マッカートニーといえば、お互いの実力を認めながらも激しく競い合うというライバル関係にあったことが知られている。「一度。一度だけ、ジョンは僕を褒めたんだ。あれが最初で最後だったよ。その曲は『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』だった。演奏し終わったとき、ジョンはこう言ったんだ。『本当にいい曲だ。すごく好きだよ』。そのときの僕は『やった、ジョンが好きって言った!』って感じだったね。ジョンが『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』を書けば、僕(ポール)は『ペニー・レイン』を書いた。ジョンが僕の曲を好きだって言ってくれたことは、今日までずっと覚えていたよ。なんだか、悲しいね」という内容であった。『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』は、リバプールから出発した彼らの蜜月期を思い出させる曲なのである。



posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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