2019年04月09日

アルプス一万尺「山行」

1956年(昭和31年)にマナスルはヒマラヤ山脈の未踏峰の一つであった。ヒマラヤの8,000m峰・マナスル第3次登頂隊長となったのが槙有恒だった。同年5月9日、11日に有恒の指揮する日本隊が世界で初めてマナスル登頂に成功した。この快挙は、日本人の精神力と体力が世界各国に比肩するものであることを示し、戦後の日本国民に自信を与えるニュースとして喧伝された。


12歳のときに槙有恒少年は、富士登山をして以来、山が好きになってあちこちの山に登り、ついに世界的登山家になった。
1918年(大正7年)、アメリカ・コロンビア大学に留学している。
1919年(大正8年)から2年間ヨーロッパで過ごすが、この間スイスに滞在しアルプスをくまなく登山し、それまでのワラジ履き、掛け鞄、登山杖で一種の旅の延長であった日本の登山に新しい技術を導入、登山界に刺激と影響を与えた。
1921年(大正10年)、グリンデルヴァルトの登山ガイド3名(Fritz Amatter, Samuel Brawand, Fritz Steuri)と共にアイガー東山稜(ミッテルレギ)を初登攀する(東山稜は50年もの間、犠牲もあり誰も成功していなかった)。その記念として3年後に1万スイスフランを寄贈してミッテルレギ小屋(en)を作った。

1925年(大正14年)、早川種三らとともにカナダのアルバータ山世界初登頂に成功、その際頂上に細川護立侯爵から預かった銀のピッケルを立てた。また、この登攀の際に絹のクライミングロープを初めて使用したとされている。また、スイスから持ち帰ったピッケル「シェンク」を日本に紹介した。 1944年(昭和19年)、日本山岳会会長に就任した。

登山家はよく読み、思索し、文章がかける。槙有恒・著『山行』はその登山記 <アイガー東山稜の初登攀> はアルプスの自然、アルプスに生きる人びとが立ち現れ、長く愛されている。読めば、アルプス1万尺に連れていってもらえる。志賀重昂『日本風景論』、ウォルター・ウェストン『極東の遊歩場』に並ぶ地理・地形の名著とされている。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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