2019年04月04日

「父の謝罪」から始まった、日韓の誤解

『父の謝罪費を撤去します』(2017 産経新聞出版)という、大高未貴が吉田政治の長男から取材するなどして慰安婦問題の起こりをまとめた本がある。

吉田清治の証言記事を手始めに朝日新聞が大々的な従軍慰安婦報道を繰り広げ、それを他紙も追随したこともあって、国内外に大きな流れを作りだした。当時の宮沢首相の謝罪や河野談話につながったと考えられるが、偽証であったと分かってくると、日韓関係に悪く響いている原因をつくった、もしくは利用された部分がある。その吉田証言が虚偽証言だったとの認識がされた頃には、その流れが国連の人権委員会で取り上げられ、今や取り消して済む話ではないほどの禍根を残していた。

吉田自身が誤認記事であると認めた時には、世界は "The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan"という組織の言葉を信じるようになっていた。日本語に訳せば「日本によって軍の性奴隷に徴用された女性のための韓国協議会」ということになり、「徴用された(Drafted)」という語を使って誤解を上塗りしてきたのが略称「挺対協」だ。

このため、例えばAFP通信社の発信するニュースでも "Up to 200,000 women from Korea, China, the Philippines and elsewhere were forcibly drafted into brothels catering to the Japanese military in territories occupied by Japan during WWII, according to many mainstream historians." と「徴兵された (drafted)」と、世界に報道されてきた。

さらに、女性記者が朝日新聞が拠り所とした吉田証言を鵜呑みのまま、日本の慰安婦問題についての責任を追及していった。その裁判というのは、一般裁判とは区別されるのではあるが、法廷を模した名称で「女性国際戦犯法廷」というセンセーショナルな国際社会に訴える民間団体の抗議活動(民衆法廷)であった。2000年に起きたこの模擬裁判で「昭和天皇への有罪」が判決とされた。主宰者となったのは、この国際実行委員会 共同代表である尹貞玉(1925年 。梨花女子大学英文科名誉教授。 韓国挺身隊問題対策協議会の初代代表)と松井やより( 1934 - 2002、朝日新聞記者)だった。

この法廷は、韓国政府が慰安婦問題の賠償を求める根拠ともなっていった。この模擬法廷運動を含め、従軍慰安婦問題を日本に突きつける先駆的リーダーとなったのが「挺身隊」であった。挺身隊(女子挺身隊)は、日本や朝鮮半島や台湾など招集され主に内地の軍需工場で働く勤労奉仕団体のことを指す。しかし、韓国においては慰安婦を女子挺身隊と混同して運動が起きている。当時、朝鮮の慰安婦斡旋業者が挺身隊の名を仮り慰安婦を集めるなどがあり、「挺身隊として徴集されると慰安婦にさせられる」と流布されていたほか、「慰安婦」の語は後の韓国の米軍や韓国軍の慰安婦と混同するため、日本軍慰安婦であることを強調するためでもあった。

「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」も、英語では”The Women's International War Crimes Tribunal on Japan's Military Sexual Slavery”とされた。「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)を中心とする団体で構成され、2000年に東京で開催し、2001年にオランダで「最終判決」として要求事項などを発表し、世界に事実以上の罪状を印象づけた。

「挺対協」は、1990年11月16日に、 韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が参加して韓国挺身隊問題対策協議会結成。その初代代表は尹貞玉だった。1990年12月 - 日本キリスト教婦人矯風会が尹貞玉を日本に招聘し、協力関係を結んだ。日本のキリスト教団は「平和聖日献金」を提供し、それが活動資金源になっている(Wikipedia)。「性奴隷」と位置づける政治宣伝工作に着手するようになつと、1993年3月 - 初めて統計処理した元慰安婦証言集『証言・強制連行された朝鮮人慰安婦たち』を刊行。元日本軍慰安婦の調査、日韓両政府への意見表明、世界各国で日本軍慰安婦は強制動員された「従軍慰安婦」であるとして、国際社会に喧伝して日本国政府に謝罪を要求する運動を行ってきた。本部は、ソウル市内、西大門に近いところにある。

慰安婦に対する日本国政府の真の謝罪と誠意ある対応を求めており、在韓日本大使館前での定期的なデモ活動(水曜デモ)の主催や慰安婦像設置運動などを続けている。また、ソウル特別市で常設博物館の戦争と女性の人権博物館を運営している。2001年に尹貞玉は名誉共同代表に退くが、2011年12月14日には、 韓国の在大韓民国日本国大使館前(公道)に、無許可で元慰安婦の少女時代を題材にしたというブロンズ像(平和の碑)を建て、日本国政府は外交関係に関するウィーン条約違反と抗議した。

産経新聞は、この団体は日韓両政府の慰安婦問題解決に向けた歩み寄りを度々妨害してきたとしている。毎日新聞記者でソウル支局長を務めた、ジャーナリストの澤田克己は、自著の中で一市民団体であるはずの挺対協が、慰安婦問題解決の拒否権を持っている、と指摘。その根拠は、2012年に日本国政府が大韓民国政府に提示した解決策に対して、受け入れ拒否を強く主張した趙世暎(大韓民国外交部東北アジア局長)が、その拒否した理由を「日本の国家責任を認めていない案を、被害者と関連団体が受け入れるとは思えなかった」と語っていることだとする。
posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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