2019年04月01日

イチロー引退

 実を言うと、私はイチローが言動が生意気な上に、カッコをつけてなんて奴だとは思ったことはあるけれど、大変な努力と鍛錬によって、スーパースターの座を獲得したことは間違いないと感心してていた。笑って死ぬためにには、やっぱり健康に留意する必要はありそうである。ここは偉そうなことは言えない。私は、ドアツードアの車移動で歩かない派の暮らしそのものだ。笑って死ぬには、日頃のトレーニングをやるしかないのか。

 ところがだ、引退会見では真顔になって眼が赤くなって涙を浮かべているようにも見え、「ボクはアスリートとしてしか生きる術がない。打てなくなったら、それは死ぬことなんだ。後の人生なんて、ボクには残されてない」と、しみじみ語っているのに、驚かされた。一言一言確かめるように言葉を紡いで話すスターを、かつて見たことはなかった。この純粋さに感動した。

私たちは、ともすると逃げ道を考えたり、少しでも楽をして生きたいと願ったりする。ところが国民栄誉賞も拒否して「どうしよう。もうこれでお終いなんだ」と、自分を曝け出してしまえる。自分が築いて来た様な実績や栄光にいささかもこだわらない。だからプレイヤーを辞めたくなかったという一途な思いを「笑って死にたい」という言葉の意味が光り輝いて聞こえるのだ。

イチローは、自宅に大きなトレーニング・ルームを持っていて、引退後も身体を鍛えている。生きている限り、それを続けるつもりらしい。引退後のアスリートが太ったり、失意のまま早逝したりする例は枚挙に暇がない。自己管理を怠った結果だろうけれど、私たち普通人にも日常生活の中で、心身共に弛(たる)みや緩みを許容しているに違いない。

それにしてもエイプリル・フールに元号が発表されたなんて、ユーモアだろうか。



posted by Nina at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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