朝日新聞の記事捏造は既に全貌がほぼ明かされてきたが、そこには、意外にも吉田清治という人物が主役級で、自ら物語を作り上げていったものではなく、朝日新聞と北朝鮮の工作にのった旧日本社会党の政治家たちの活動があって、今日の慰安婦問題の複雑怪奇な実像が作られていった一連の動きが克明に記され、これで慰安婦問題を収束したいとの思いから、謝罪碑撤去への経緯を開示していた。
慰安婦問題の発端になり、捏造した話を本にして出版した吉田清治という人物の長男に取材し、吉田清治と慰安婦問題がどんな経緯で極大化されていったのかを丹念に調べ上げて、『父の謝罪碑を撤去します』(産経新聞、2017)を出版したのである。本書は、この故清治氏の長男のインタビューを中心に、本来虚実が入り混じったフィクションのような清治氏の文章や発言が、動かぬ証拠として利用され拡散されていった経緯を振り返りながらまとめられている。
「(父親の清治氏は)寝込んでからはよく言っていました。正しい情報を持たないでやってしまったからと」。改めていうまでもなく、吉田証言が歴史に残した傷跡は非常に深いものがあるが、本書を読む限り、物書きにあこがれる気持ちがあって懸賞マニアでもあり経済的にも恵まれていなかった一介の人物にすぎない清治氏が、真実よりインパクトを優先して想像をまじえて大げさに書いたり発言したものが、朝日新聞・旧社会党・自民党の左派勢力・反日国際弁護士・韓国・北朝鮮の息のかかった活動家などによって、徹底的にうまく利用された感が否めない。つまるところ慰安婦・徴用工問題とは、日本人の側からたきつけ、親日派を忌み嫌う従北派の韓国人が呼応してきた反日活動となっていったからくりがあったのです。ですから1965年の日韓協定で個人賠償も含め全て解決済みとなっていたにも関わらず、韓国メディアに「日本の良心」として紹介されるが東大教授などが中心になって「個人請求なら可能」などと、韓国の司法も巻き込んでいった。北朝鮮からの避難民であった文在寅は従北派の弁護士であったのでこの裁判を最初に請け負った経緯があり、およそ近代国際とは呼べない約束破りとなっても正す側には成り得なかったのです。
「朝日新聞は父の証言に関する記事を虚偽と認定し、たくさん取り消しました。その中には八十三年に父が韓国に建立した謝罪碑に関する記事も含まれています。つまり、父が建てた謝罪碑に刻まれている文言も虚偽だということです。そういったものを放置しておくことは、日韓双方の方々にご迷惑をおかけすることになります。ですから遺族として撤去したいのです」(吉田清治氏の長男)
故吉田清治氏が韓国・天安市の「望郷の丘」に建立した謝罪碑について、その長男がそのままにしておくべきではないと考え、代理人を通じて、頑丈にコンクリートで据えられていて容易に撤去はできない状態のその碑に「慰霊碑」としたものを新たに貼り付けた。この碑は元々韓国側に寄贈されたものではないので、所有権は韓国側にはなく清治氏の遺族側にあるという。
清治氏は、家が貧しかったので普通に大学に行くのが難しく、長男も次男も当時社会主義を広める意図もあって各国から留学生を受け入れていた旧ソ連に、学費も旅費もすべてタダという条件で留学させている。そのためロシア語が堪能で、長男はそれを生かした仕事をして、病気の母と弟、そして父の生活を支えていたという。本書で紹介されている発言を通して見ると、この長男は確かに常識も思慮もある人で、父親である清治氏についても息子の立場から公平に淡々と語っている。謝罪碑についても、このままにすべきではないと判断して協力者を探して慰霊碑としたようで、今回本書のための取材に応じたのも、「“日韓双方の皆様方に、父の虚偽証言を再度、謹んでお詫び申し上げます”と、謝意を書きしるしておいてください」と伝えたかったこともあったようだ。
吉田証言がこれだけ国際的に大きな問題につながってしまった背景には、本書においても各所で明らかにされているように、真実をろくに検証せずこのようなものを都合よく大々的に取り上げた報道機関や集団や勢力があったのだということは、しっかり知っておくべきだ。
我孫子市民図書館にも蔵書されている。
2019年02月27日
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