20年前まで、韓国は長く日本の大衆文化に固く門戸を閉ざしてきた。だが「文化侵略される」といった韓国国内の反発を押し切り、開放にかじを切ったのは、1998年10月8日の日韓共同宣言によってだった。それは1965年の国交正常化以降初めて、政治が主導した関係改善の試みだった。「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」の副題を冠した宣言は、当時の小渕恵三首相と金大中(キムデジュン)大統領が署名した。2018年冬季オリンピック(五輪)は平昌(ピョンチャン)で開催、ソウル五輪から30年ぶりだった。
宣言後、最も大きく変化したのは日韓の人の流れだ。今年、両国を行き来した人の数はついに1千万人を超えると予想される。国交正常化の年の往来者数は約1万人。半世紀余りで千倍になる。日本を訪問した韓国人旅行客が80万人を突破した。昨年12月よりも12万人多く、昨年1月よりも18万人多い。 一方、中国は韓国に経済制裁をしたので、韓国への観光が減った分、日本への観光が増えました。
過去の植民地支配の痛切な反省と心からの謝罪を表明した小渕恵三首相。それを受けとめ、未来志向の関係発展に向けた互いの努力を呼びかけた金大中大統領。安保、経済、環境など各分野で双方が取り組む行動を細かく定め、今日の日韓関係の土台を築いた。
日韓の首脳が自ら決断し、ともに歩み寄り、新時代を切り開こうとした意味は大きい。宣言の精神は21世紀にも継承されなくてはいけない。 負の流れを断つために政治は機能しているのか。むしろ、双方の政治家の言動は問題の発信源となっていないか。
3年前に日韓政府間で合意した慰安婦問題、日本政府の10億円の拠出金をもとに韓国政府が作った、元慰安婦らの支援にあたる財団は今、存続の危機にある。 韓国政府は合意の破棄を否定しつつも、前政権の失政だとして事実上の形骸化を図り、責任を果たそうとしない。日本政府も問題は「解決済み」の一点張りで、その硬直した姿勢が韓国側を刺激するという悪循環に陥っている。
共同宣言の核心である「過去の直視」を日本が避けて通ろうとし、韓国が「未来志向の関係」を渇望しないのならば、いつまでたっても接点は見つからない。
日韓関係を長年研究してきた小此木政夫・慶応大名誉教授は中国の台頭や日韓の国力の差の接近などを挙げ、「この20年で両国をとりまくシステムが大きく変化した。 地域の安定のためにも互いに不可欠なパートナーだと認識する必要性が、むしろ強まってきた」と指摘する。
だが、朴政権の一連の不祥事、不正事件で、2017年3月10日に大統領弾劾が成立して罷免されて、当時に野党代表であった文在寅氏が2017年5月に大統領となった経緯で、すべからく朴槿恵政権の決定、遡って実父であった朴正煕が敷いた路線に非難が集中するわけである。このところ韓国政府は、合意の破棄は否定しつつも、前政権の失政だとして事実上の形骸化を図り、責任を果たそうとしていない。日本政府も問題は「解決済み」の一点張りの硬直した姿勢が韓国側を刺激するという悪循環。
■大局見据えた決断
現在の韓国の首相は、日本通で言葉も堪能な李洛淵(イナギョン)氏。政治の対話チャンネルを機能させるため、双方があらゆる工夫をこらさねば、日韓合意がすすまない。 後世に責任を持つ政治指導者として、大局を見据え、隣国との信を交わす。地域のリーダー国である日韓はどんな関係を築くべきなのか。国際社会で両国が担うべき役割は何か――。首脳同士の定期往来であるシャトル外交も合意したが、これまでのところ軌道に乗る兆しが見えない。日韓両政府とも関係改善への強い意欲が示されない現状は、なんとも危うい。早急に互いの認識を詰める必要がある。
現在、日韓は、核保有国を自任する北朝鮮とどう向き合うかという懸案にも直面している。 非核化という最終目標は共有しているが、それについても、どう達成するかという考えは、日韓で大きく隔たる。シャトル外交の復活が難しいのであれば、韓国の国務総理(首相)と格式張らない往来を重ねた閣僚懇談会からでも再開すべきではないか。
参照:朝日新聞(10/8)
2018年11月04日
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