2018年10月18日

70才ジュリー、ファンが全国に待機

それは、17日に国内最大級のさいたまアリーナのコンサートを、あのジュリーと呼ばれた歌手・沢田研二がドタキャンしたと、久々に貴社にとりかこまれた取材に姿を見せて各局の話題になった出来事がネット上でもかなり取り上げられたことに始まった。それにジュリーファンも応じて、「今まで色々な出来事や、事件、事故があったが、今回のドタキャンで取材に応じる事になったのが51年間で一番こたえています」などという。

集まった記者の前で、多少憔悴気味に見える沢田研二は頭をさげ、「さいたまスーパーアリーナでやる実力がなかった。ファンに申し訳なく思ってます。責任は僕にあります。これから取り戻せるようにできるだけしていきたい」と謝罪した。その日、開場時間の午後3時半まで事務所、イベンター会社から予定通り開催するように懇願され、押し問答となったが、最後まで首をたてに振らなかった。「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明した。謝罪会見のジュリーの画像は、いつもとは違い、元気がなくうなだれ、白髪の力ない老人の姿になっていた。だから、余計に哀しい、ファンとして見ていてつらいと書いている。沢田研二も記者に語りながら、自らの歌手人生に後がないのだなどと、さすがに70才としての老いを語る言葉があった。

中止の詳細について、「動員に関する契約上の問題だった」と説明。本番前のリハーサルでモニターを見た時、座席が置けるのに置いておらず、観客が座れないように客席がつぶされているブロックが「6か所くらいあった」こと気づいた。ジュリーは小規模の会場での公演も全国で廻ってきているが、ハコにたいして客席の空間が目立つ状態でやるのは酷なこと。そのため最初から『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』と言ってきた。イベンターには集客の努力を士てほしかったし、それが無理なら早い時点でそう言って断ってくれればよかった。そういう意思を伝えてある以上、履行されないなら、僕としても意地がある、皆様には申し訳ないが、自身がこれではできないと中止を決断したことを明かした。同会場は客席が可動式で、規模によって約1万人から最大で3万7000人まで収容可能。開演前に所属事務所、イベンター会社から集客状況について「9000人と聞いていたが、実際は7000人だった」と知らされた。ジュリーとしたら、話が違うとなってきた、「できると踏んだが、僕に実力がなかったのが一番。(イベンターが)無理ですよねと言ってくれれば、早めに中止もできたが、今回は当日まで知らされなかった」つまり、主催者である沢田研二にリスペクトがなかったと感じてきて「事務所もイベンターもやりたいと言ったが、僕には酷だ。老人虐待ですよ」との言葉になった。

さらに、ファンには「今回は(意地を通して迷惑かける事になるが)ちょっと助けてもらいたい。甘えさせてもらいたい。代替公演などできるだけのことはしたい」とはなした。「意地」という言葉を6回も繰り返した。お客は彼がファンを集めて成り立ってきているのだから、分かってくれてついてきてくれると信じている、だけれどそうした意地でどこまで、今の時代のイベンターにもプロとして通じるかと、不安になってきたという事なのだろうか。しかし、入場者数を席を設けない可動式アリーナで、沢田としては2000も胡麻化されていると感じた、大スターだからって言っても昔の話で、元から埋められるわけがないと思われてるって風で、兎も角ハコを狭め興行としてペイすればいい、そういう発想、対応でいた現場スタッフの対応に最後にきて許せないとなった。筋が通らないとキレるのはは未だ健在だったということだ。沢田自身は芸能人としてのキャリアも長いから、致命傷になりかねないのも分かっていて、70歳にして相変わらずジュリーのポリシーを持ち続けて、頑張ってしまったという事だ。損得より、自分らしさを貫いてきたから、彼をジュリーとして愛するファンに分ってもらいたいと言ったのだ。開場時間の午後3時半まで事務所、イベンター会社から予定通り開催するように懇願され、押し問答となったが最後まで首をたてに振らなかった。そういう意地をみせる事が出来た。「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明した。

現代の人気もの「嵐」は5人組、2008年以降は、5大ドームツアー+国立競技場のツアーがメインになっています。コンサートの日程が決まれば、ファンクラブに入会している人には申し込み案内(振込用紙)が送られて、嵐ファンクラブ会員は91万人を越えています。ファンクラブに入会していても、それでもかなりの方々がチケットを手に出来ないらしい。国立公演しか一般販売はありませんでしたし、一般ではまず電話が繋がりません。その為、ファンクラブに入会していなければチケットが取れる確率はほぼ0%だと言われる。その嵐のコンサートツアーでも、国立4日間、京セラ3日間、札幌2日間、東京3日間、名古屋2日間、福岡2日間の合計で16回コンサートをして、86万人動員で、比べてみるにもスタイルが違うが、沢田研二として過去現在、観客動員も引けをとらないで、自主興行でやり続けているのは凄いの一語だ。


男でも女でも、特に若い時に美し過ぎる人にとって、老いは酷だなと思える。それほど、20代のジュリーは、周囲にいる人をゾックとさせるほどの稀な美しさがあった。その人気ぶりは海外の雑誌・ローリングストーン誌にも取り上げられた。ある同年代の女性歌手は、「自ら意地があると言うなら、もっと痩せて、見に来てもらえば」などと、カーネルオジさんと見間違えるけどになった70歳のジュリーに苦言を呈する。しかし、そうした過去の自分と決別、培った歌手としての地震、ミスからのプロデュースで50年もコンサートで全国の主だった会場を押え、ファンがそれだけ集まるのが凄いと、そのカリスマにもなるほど!なのだが、高齢化するファンの足が遠のけば、どうやって集客を減らさないで盛り上げられるか、プロとしての興行になるか、大規模な同窓会を続けているだけなのか、アーティストとして瀬戸際に立たされている。老人虐めなどと言わず、皆さん若いからなどと言わず、沢田研二の80才へのラストスパートを魅せて頂きたい。因みに、海津にいなはB4のファンだから、当時の日本の歌謡界は興味がなかったが、それでも「憎み切れないろくでなし」「TOKIO」は耳に残っていて、改めてジュリーを聞いて見ると面白いと思う。

そこで古株のファンのブログを見たりすると、次のように言っているのが目にはいった。
ジュリーも自分の口から言わないと収拾がつかないと思ったんでしょうね。
7000人〜入るって凄い事やん。それだけじゃなくて、それを60カ所こなすパッションを持ち続けているのもジュリーの凄さだ

「アリーナを埋める能力がなかったなどという事は
ないのに、これしか言い方なかったんだろう、
言い訳じみた事になるんが嫌やったんやろうな・・

真をついているから辛い言葉や。
正直にもほどがあるって言いたいけど
正直に言うわな・・ジュリーやもん。
次に控えている大阪の狭山での会場まで追いかけられるしな・・

会場に来てるファンにも、迷惑かかると思いはったんやろな。
こういう性格は、生きにくいで。
やろうと思えば、7000人の前で、さいたまアリーナでやりましたと言えたんやから。
それを、目をつぶって、出来ないのがジュリー
自分の中の「意地」の塊。崩されへんねん。そういう時にへこたれへんのが70歳にして、昔と変わらないジュリー
だから、ファンがそこについてくる、その真っ正直に歌を聴いて欲しいとステージで全開する
そういう変わらないところが、容姿なんかじゃなくて惚れるねん
そんな強がり、だれでも出来るもんじゃない、潔いキレてるカッコよさが他にはない、
ステージでマジになる瞬間に触れる だから貴重なん

聞くところによると、「狭山」のチケット
凄い速さで売れてるらしい・・(完売した)
そこで、何かジュリーが言うてくれるの期待してるんかな?

満員じゃないと、ジュリーは辞める・・
辞めるという事は・・ジュリーが見れない・・
行かなアカンがな・・ガーン

昨日から今日にかけて、大変やったなぁ・・ショック!
ジュリーが一番、大変やけど・・
ジュリー本人が下した答えやから

まぁ仕方無いとして。
ファンの人達も大変でしたよね。
遠いとこから来る方も沢山居たでしょ・・
帰れないからお泊りの方も・・
もちろん、昔からファンというのでなくて、「一回見ときたかった・・」と
チケット取られた方もいてるやろうし。

めまぐるしい1日でしたね。
でも、会場に来た方たちは、騒ぎもせず
「ジュリーとカズさんが無事で良かった」と。
「仕方無いね・・」と帰って行ったって・・凄い事。
文句の1つも言いたいやろうに・・むっ

大きい心で、ジュリーを包んでいるのが往年のジュリーファンには頭が下がります。
ジュリーも幸せ者やと思います。

ほんまに長い2日間やったなぁ・・って・・
今日会見したから、またワイドショー
賑わうかな・・賑わうやろな・・
明日で最後にしてほしいよな・・・ショック!
終り・・にしてほしい



華奢で、色男に見えるジュリーだが、沢田研二はキレきれの男だった。
彼は常に、死ぬ気で勝負に出る、だからステージに立つ。
そういうミッションでステージを考えているのを、たまアリーナのイベンターは興行なのだから
入ればいいと甘くみていた。70歳、古希祝のレベルだと馬鹿にしていた節を見逃さなかったジュリーとしての
プロ意識が抗議させたということ、ファンにとってはだんだんに盛り上がっていくのではと思えてきた。
半世紀も、多くの人をひきつける魅力の持ち主とは、ただ事ではないと思うし、『我が窮状(九条)』なる曲も作詞して歌っていたのを知って、改めてどういう歌手なのかとそそられている。まるで、ジョンレノンとデビットボウイを掛け算したロック野郎だったのか・・・。
芸能界の異端児、ジュリー・沢田研二、ガンバッテ〜 ♪



沢田研二の意外に硬派な歌手であることを2013年のブログに綴っているのが、ありました。

2011年には、脱原発ソングや憲法九条についての想いを歌っていて、賛否を醸したが、年齢にものを言わせ、アイドルや一過的な人気とは違う我が道をいく、怪しいバイセクシュアルな感じで化粧も派手にして、大人たちに評価されやすい路線になりにくかったようです
しかし、エンターテイメントの世界でマニアの間ではとんでもない存在の沢田研二さんだというのです。独自路線を貫く、頑固さ、つまりマイペースなのだが有名なミュージシャン、芸能人が沢田研二の隠れ信者というのが数多く来てますヨ いちど、コンサートを見た事がありますが・
どんな大音量の歌でも・歌詞をしっかりとした発音できちんと歌える歌手で、声量も衰えない

ここで、沢田さんのこれまでの実績というか・・少しさわりだけでも書いてみようと思います
1、グループサウンズの時代、一番人気のあったグループであり歌手だった
2、日本で始めて野球場でステージをやった(その後還暦でも一番のりで やった)
3、男が化粧をするという文化をテレビで作った先駆者(笑)今のビジュアル系音楽の先駆者
4、自分のバンドで演奏と歌をテレビでも披露して活動するスタイルを定着させたこと
5、ロックという以前はマイナーな若者だけの音楽を、テレビを通じて、一般の人や女の人にも 定着させた、一番の功労者
6、歌謡曲だけでなく、ロック、ジヤズ、歌劇、ミュージカル、舞台、役者、オペラ、等 なんでもやるエンターテェーナーである事
7、デビュー以来、45年間毎年必ず新しいアルバム(新曲)、全国縦断コンサートをやっている事(もちろん他にはいません)・・これは世界的にも楽曲数とかギネス的記録です
8、歴代の歌手の中で一番ヒットチャートベスト10に入った回数の週が多い事
9、日経エンターテインメントという雑誌で、昭和の歌手ナンバー1の男性歌手として 紹介されたこと
10、今まで、出した新曲の数が日本人アーティストで一番多い事
11 、作曲、作詞もしますが。。その数ですが・・ 自分の知ってるだけでも・・
作曲109曲、作詞174曲で関わった人が「湯川れいこ、阿久悠、山口百恵、山上路夫、近田春男、覚和歌子、伊集院静、秋元康、矢島順一、松井五郎、糸井重里 落合恵子、アンルイス、竹内まりあ、杏里、滝川裕美、名取祐子、松本隆、桃井かおり、荒木一郎、小谷夏、阿木耀子、宇崎竜童、佐野元春、伊藤銀次、大野克夫、加瀬、大野克夫、東海林修、ミッキー吉野、宮川泰、白井良明、柴山和彦、吉田健、後藤次利」、他・・数え切れない人と 作詞、作曲でコンビを組んでいます。 あとは、好き嫌い(笑)の問題なので、、、、任せるとしても とんでもない実績であることは間違いありません・・・これだけの事をいまだに続けてきている人が、イマでいうイケメン、かっこいい男のトップにいつも君臨していたのは、今のお姿からは想像しがたい・・・・)
もっと、評価されてもいい方だと思いますが・・

この方が、今まで日本の大衆音楽、ロック、歌謡曲、ポピュラー音楽など に多大な貢献をしてきた・・という面では
1、2を争う存在だと個人的には思っています, その沢田さんが還暦のときに
還暦の歌手で始めて東京ドームでのコンサートを 招待券なし、ゲストなし、仕掛けもなし、で4万人近い観客を集め、
80曲以上の歌を 7時間ぶっ続けで歌い、声量が衰えていないのには驚きでしたが
そのライブの歌唱やパフォーマンスが認められて
その年のミュージック、ペンクラブ賞の特別賞をもらいました
この賞は、今ある音楽賞でも一番価値があるのではないかと思ってるんですが
歴代の受賞者が凄いんですね・・
クラッシック、ジャズ、の内外の超一流の音楽家や芸術家ばかりで
ロックとか、いわゆる流行歌的な国内のパフォーマーや歌手は
一度も選ばれた事はなかったんですが・・というのは、審査が音楽評論家などの、
なるべくある一定の既得権に染まりにくい 方達中心の
数千人で選ばれている賞なんで・・・
よくあるレコード大賞とか歌謡大賞(もうない(笑)) とかの・・
コマーシャル。エンターテーメントのたぐいとは違うもんなんですね
日本では、ピアノの上原ひろみさんとかが良く選ばれているような賞です


その沢田さんなんですが、普通の人のイメージだと「昔、グループサウンズでデビューして、熱狂的な女性ファンがいて、歌のほうは上手くない、・・」そういう先入観がある。
昭和のポップス歌謡の代表的なメジャー歌手だけど、暴力、交通事故と身辺問題をおこすことが多く、不倫、離婚問題などで当時18億とも言われた芸能人史上もっとも高い慰謝料を払っていた破天荒ぶりで注目され続け、その後王手プロダクションのナベプロをやめる・・その20年間は
テレビ露出ナンバー1だったのに、、次第にテレビのに出なくなった」・・・
それはソロ歌手になってからの評価も歌は上手くなったけど、同じ傾向で、とにかく派手な衣装やジェスチャー
パフォーマンスの方で話題になることが多かったので、歌手・作詞・作曲家としての実力を正当に評価されていないのが、残念なくらい凄い。日本のエンターテイメント界の革命児で、今もそうありつづけられる硬派なアーティストと言える、との良さを分かりにくくしているところがあるが、今もって記録を創りつづける事を追求をしている70才だった。


参照HP:https://ameblo.jp/5a6d8iejd9/entry-11457891848.html

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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