2018年10月13日

長編小説『鬼龍院花子の生涯』

秋は、読書にも良い季節だとされる。
先週、日本経済の指標となる日経平均は大きく下落し、先行き不安が垂れ込めた。
そんな時に、宮尾登美子の長編小説『鬼龍院花子の生涯』を思い出した。

この作品は、最初『文藝春秋』別冊145号から149号に連載、纏められたものであった。
ストーリーは大正、昭和の高知を舞台に、侠客鬼龍院政五郎(通称・鬼政)とその娘花子の波乱万丈の生涯を描いた。女の一生の中でこれほど、社会に翻弄される主人公もいないと思えるヤクザの世界に生まれた主人公・松恵という設定で物語が展開する。この作品に目をつけて、当初は梶芽衣子が映画化を持ちかけていたが、様々な変遷を経て、主役の松恵を演じた夏目雅子の演技が評判となり、映画は大ヒットとなる。鬼政に松恵が手篭めにされそうになる場面もあり、[女の目は泣くためにあり、口は噤むためにある](p114)宮尾作品。

「なめたらいかんぜよ」と、夏目雅子が映画で啖呵を切るシーンは映画予告編としてテレビスポットに使われた。侠客の養女となった松恵(夏目雅子)の目からみた、時代を描いた宮尾作品。この言葉は世間に知れ渡り、映画 が大ヒットとなり、本作の新聞広告は、1982年度の朝日広告賞を受賞している。

鬼龍院花子は政五郎によって半ば親の都合で養子に出され、一家の跡目を継ぐべき位置にはありながら、実子が生まれて変転する中で、松恵が一家を纏めていかなければならなくなる過程を描いて、女が運命に逆らうことも許されず付き合う理不尽な実際を文芸化した任侠劇だ。松恵は12歳で鬼政のもとへ養女に出され、約50年にわたりその興亡を見守った松恵の目から見た時代を描いたもの。鬼龍院花子とタイトルにあるが、主人公は、政五郎の養女とされた松恵である。諸行無常などと受け入れている様で一切を拒絶する「女の目」が理不尽な世の中をみつめていた。松恵は学業に優秀で県立の高等女学校に入学し、後に小学校教師となる。鬼龍院家の人間たちの生き様を目の当たりにしてきた影響で、しとやかな中にも激しい情念を秘める女性に成長。様々な人間との出会いや別れを通じて、波乱に満ちた人生を送る。当初弟・拓(ひらく)だけが養子になる予定だったが、政五郎に「賢そうな顔をしている」と気に入られたため急遽、鬼龍院家にもらわれる。学校に通わせてもらい勉強に勤しむ傍ら、政五郎の身の回りの世話や妾との間に生まれた花子の子守などをして暮らす。
大正から戦前に土佐に一家を興し没落した、侠客・鬼龍院政五郎と、彼に絡め取られた女たちの因果。
徒手空拳から土佐の親分として、いくらでも横車を押せる政五郎の絶倫さがに陰りを見せるのは、花子が生まれた頃からか、一家や自身にふりかかる不幸に、一人娘の花子が産まれるまでと、産まれてから花子が成長して、その生涯を閉じるまでを描く。我侭放題に育てられた娘花子は、親の庇護から外れたのちにどのように生きていけばいいのか。甘やかすだけではその子を駄目にしてしまうことが恐ろしいほどに良く分かる。

『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『櫂』は、五社と宮尾登美子とのコンビ作品で「高知三部作」とも呼ばれた。これらは東映に新たな“女性文芸大作路線”を確立させた。

夏目雅子がグラビアモデルとして注目後、女優として世に認められる”松恵”の有名な台詞が、あまりにもそれまでの可憐な夏目雅子と書け班られて、インパクトを与えた。

「あては高知九反田の侠客”鬼龍院政五郎”の”鬼政”の娘じゃき。」
「なめたら、なめたらいかんぜよ」。

この物語のモデルとなったのが「森田良吉」、侠客であり興行師でもあった別名「鬼頭良之助」といわれる人物だとされる。高知の街は、太平洋戦争で戦火に遭い、多くの歴史的遺産が消失してしまったが、森田は維新を興した偉人ばかりでなく歴史をつくってきた人々を排出した人々の記念碑も建立してきた。戦火にも耐え、今日まで土佐の墓山に佇む数多くの墓碑、記念石碑がそれらを記録する重要な史跡となったと言える。


参照:ウィキペディア

posted by Nina at 15:55| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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