リスボンで生まれ、育つ。高等工科大学 (IST) で物理学と電気工学を学び、1971年に修了、助教として学問の世界に入った。政治と関わりを持った。それから間もなく学界を退き、政治活動に専念するようになった。在任中、ポルトガルに対する世界の注目度を高めた1998年のリスボン国際博覧会の誘致に尽力した。
1999年に首相に再任され、2000年1月から7月には欧州理事会の議長も兼務した。しかし、首相としての二期目は苦しい時期となった。経済の低迷とヒンツェ・リベイロ橋崩落事故の影響に加えて、党内対立がグテーレスの権威と人気を揺るがした。2001年12月の地方選挙で、社会党は大敗を喫した。これを受けてグテーレスは「国を政治的な泥沼に陥れないため、職を辞す」と表明し、辞任した。グテーレスはポルトガルの政治から退き、2005年まで社会主義インターナショナルの議長を務めた。
2005年5月の国連総会で、グテーレスは国連難民高等弁務官に選任された。2007年2月16日のナショナル・パブリック・ラジオによるインタビューでは、イラクの難民が直面している苦境について、1948年以降の中東で発生した最大の難民危機のひとつであると述べた。あまり一般に知られていない難民危機として、グテーレスは中央アフリカ共和国とコンゴ民主共和国における危機を挙げた。2011年にシリア内戦が発生すると、それによって生じた難民に対する国際的な支援を確保するために尽力した。2014年11月13日、明治大学名誉博士学位を授与された。2015年12月31日に難民高等弁務官を退任した。弁務官時代には経費のかかるジュネーヴ本部の職員数を3分の2に削減し、その分現場により多くの人員を投入した。
ポルトガル政府から支持を取り付けたグテーレスは、次期事務総長の最有力候補と目されていたとおり、2016年10月6日、国連安全保障理事会は次期国際連合事務総長としてグテーレスを国連総会に勧告する決議を採択した。13日には国連安全保障理事会の勧告を受け、国連総会はグテーレスを次期国連事務総長に任命することを決定した。
2017年1月1日、国連事務総長に就任。首相経験者が事務総長に選ばれたのはこれが初めてのことである。また、グテーレスは国際連合設立後に生まれた最初の国際連合事務総長となった。
2017年1月1日、前任者の潘基文に代わって事務総長に就任したグテーレスは就任後、初めてとなる声明で「新年に皆さんも私と決意を共有していただきたい。平和を第一にすると心に決めよう」と呼び掛けた。2018年8月9日、国連の事務総長では初めて、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席した。
1972年にルイーザ・アメーリア・ギマリャンイス・エ・メロ(1946年9月1日、ポルト生まれ)と結婚。ペドロ・ギマリャンイス・エ・メロ・グテーレス(1977年生まれ)とマリアナ・ギマリャンイス・エ・メロ・デ・オリヴェイラ・グテーレス(1985年生まれ)の1男1女を儲けたものの、ルイーザは1998年1月28日に、ロンドンの王立自由病院で癌のため亡くなった。
2001年には2人目の妻であるカタリナ・マルケス・デ・アルメイダ・ヴァス・ピント(1960年6月15日生まれ)と結婚した。カタリナには前夫のジョゼ・カルロス・ダ・コスタ・ラモスとの間に儲けた、フランシスコ・ヴァス・ピント・ダ・コスタ・ラモス(1998年5月20日生まれ)という連れ子がいる。
ポルトガル語のほか、英語やフランス語、スペイン語に堪能。歴史や地理、オペラを愛好し、とりわけ世界史に精通している。スポーツではサッカーを好む[。
アントニオ・マヌエル・デ・オリヴェイラ・グテーレス
ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・オリヴェイラ、第二姓(父方の姓)はグテーレスです。
式典に先立つ記者会見では、核禁条約に対する国連の姿勢として「全面的に支持し、発効することを望む」と述べた。核軍縮に後ろ向きな米国に対しては、「米国の決定は米国の決定だ。国連はできることを精いっぱいやっていく。国連がすべき役割を果たす」と強調した。
「核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいる。2017年には1兆7千億ドル以上のお金が武器や軍隊のために使われた。これは冷戦終了後、最高の水準だ。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたる」
事務総長のあいさつ全文(英語版)
2010年に当時の潘基文(パンギムン)事務総長が初めて広島の式典に参列したが、長崎の式典への参列はグテーレス氏が初めて。8日には田上富久・長崎市長と松井一実・広島市長や、被爆者団体の代表らと面談した。
「長崎を核兵器による惨害の最後の場所に」国連事務総長
被爆者はいま、核兵器はなくせないのか…核といのちを考える
「核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任がある」
「広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は世界中で平和と軍縮の指導者になった」と評し、「私たちはその声に耳を傾けなければならない」と呼びかけた。「私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう」と結んだ。
国連事務総長として初めて被爆地・長崎の平和祈念式典に参列したグテーレス氏の演説は、名指しは避けながらも、国連加盟国の大半が賛同した核兵器禁止条約に背を向けて「使える核」の開発をめざすトランプ米政権に向けた強い抗議のメッセージを込めた。米国から国連への「圧力」も強まるなか、米ニューヨークの国連本部では言いにくいことを、長崎から世界に発信したようにも見える。
「核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止している。多くの国が昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示した」
核大国・米ロの二国間や既存の核不拡散条約(NPT)体制による核軍縮ペースの遅さが条約の誕生につながったと指摘した。ただ、演説で「核兵器禁止条約」に触れるのには、かなりの勇気と熟慮が必要だったのではないだろうか。
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