単なる有名人を超えてレジェンドとなってくると、色々に楽曲の作曲者について言いたい人も出てきて、その後何年にもわたって議論の対象となっていたのだったことを知った。「In My Life」は私も大好きな曲の一つ、1965年発表のアルバム『ラバー・ソウル』に収録されていた。当時、小学生だったが、ラジオからはよくヒットチャートに上るビートルズの話が満載の時代だった。イギリスやアメリカはポップ、ロックの発祥の地で憧れだった。未だ尽きない話題を提供するビートルズは、今世紀最大のクラッシックになる作曲家だというのは間違いない!彼らは、アカデミックな世界でも研究がされる対象になっているのがそれを証明する。
その頃はジョン・レノンの曲と認識されていた。つまり、ジョンが歌っていれば、その曲の着想をして、多くの部分をつくっているというのがファンの認識だった。次から次にヒットを飛ばすので、どっちがどこまで作ったのかなど些細なことだ気にしなかった。レノン/マッカートニーに関しては、当初の仲の良かった時代に、彼らは楽曲の著作権など固執していなくて、クレジットはいつも二人の名前が順よく並んでいた。
ところが、段々グループの事情は、ガールフレンドができたりすると一緒にばかりはいなくなる。マネージャーとの関係も複雑になり訴訟にまで至る。リリースからおよそ10年後に、ポールはラジオDJのガンバッキーニのインタビューに、「ジョンがあの歌詞を書いて、僕がそれに曲をつけたんだ。あれは素晴らしい曲だよね」といったような事からも、尾ひれがつきだした。ジョンはそれについて1980年に、ポールが作曲のパートナーとして書いたのはミドルエイトとハーモニーだけだと語っていた。今回の共同研究の結論は、ポールはこの曲を書いたことについて勘違いしており、統計学的に見ると、「In My Life」はジョン・レノンの作品のほうが遥かに、彼の作曲の流儀に酷似しているという。結局のところ、議論はいくらあっても、二人に関しての著作権が半分半分であることには変わりないので、論争もお好きにどうぞという事だが、学会ネタにもなるということだ。
この詩の内容も、ジョンらしい優しさ、夢想する哲学性が込められている。ポールはこうした傾向にはなくて、賢明でスイートだ。この作曲の当時には、シンシア夫人と蜜月の頃だったはずだけれど、ジョンは多くの人を愛した詩人だったと思う。亡くなってしまった人に思いを馳せるのは、ジョンの母親とは幼少期に別れており、再会まもなく亡くなってしまったことにもあるのかもしれない。
「In My Life」
人生において、変わってしまうものがあるけれど
いつも変わらず思い出す場所もある
永遠に変わらないモノもあれば、そうではないものもある
無くなってしまった場所や変わらずに残っている場所
そういった場所には
すべて恋人達や友人達との時があって
今でもそれらをはっきりと思い出す
死んでしまった人もいれば
今に生きている人もいる
この人生で出会ったそんな人達を、みんな愛している
しかしそういったかつての友人達や仲の良かった人でさえ
貴方に匹敵する人は誰もいない
この新たな愛には
それらの想い出なんて意味も失してしまう
過ぎ去った人々や物事への愛情を失うことはないけれど
時には立ち止まり 想い出に耽ることもあるけれど
でも今、人生での何よりも貴方を愛している
過ぎ去った人々や物事への愛情を失うことはないけれど
時には立ち止まり 想い出に耽ることもあるけれど
でも今、人生での何よりも貴方を愛している
僕は何よりも貴方を愛している
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