高齢者終末期の定義の不明確さ、医学的判断の難しさがあり、栄養補給をしないという選択肢の提示の難しさがある中で、技術的な堅実性および利便性から、胃ろう処置が施されてきたのが日本の実態だ。その数、全国胃ろう造設者数26万人、年間実施数10〜12万件、人口当たり英国の12倍。この大きな差の要因は何だろう。
その一つに、日本における医療方針選択の自己決定に代わる倫理的アプローチが模索されてきても、終末期の予後予測の難しさがある。日本老年医学会より2012年の「立場表明2012」ですら、高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドラインができても、高齢者終末期の医学的判断については、明確ではない。その理由は、高齢者は複数の疾病や障害を併せ持っていることが多く、その「終末期」の経過はきわめて多様である。そのため臨死期に至るまでは余命の予測が困難であることから、「終末期」の定義に具体的な期間の規定は設けられなかった。
そもそも予後予測(一定期間における生存率あるいは死亡率)は何の目的でなされるのか。それは、疾病や老衰の終末期にあることを確認し、本人には苦しみが少なく、平穏に過ごすのが一義である。家族各人が別れの覚悟と準備の期間が必要であり、それらの目的にかなった心理的ケアも検討される必要である。
米国メディケアのホスピス入所基準には「6ヶ月以下の生存」という条件があるように、療養の場所、疾患・病態によっても求められる予後予測の内容は異なるであろう。また、予後予測は施設運営面からも求められる情報である。日本での癌の終末期を対象とする緩和ケア病棟では、その入院料は期間によって異なり、入院期間30日以内が4,926点、31日以上60日以内が4,400点、61日以上の期間が3,300点である。
現在、予後予測モデルはがんと非がんに分けて検討が進められている。今の日本では、高齢者が食事が摂れなくなったら「病院で検査を」となる。すると、がんなどの病気が見つかることもある。すると、手術や抗がん剤などの治療の選択肢を提示される。非がん疾患の場合は、予後を決定する因子はがんと比べてより複雑である。このため、予後予測ツールの有用性はがんでは認められているが、非がんでは未確認とされている。Lunney、Lynn らは日常的な身体の活動能力(ADL)に注目し、終末期の機能減退の軌跡に4つのパターン認めている。
1)突然死(虚血性疾患など)
2)徐々に衰弱し最後の3ヶ月で変化が早まり死を迎える(癌)
3)良くなったり悪くなったりを繰り返しながら徐々に衰弱する(慢性心不全、COPD)
4)長期間かけてゆっくりと衰弱する(認知症、老衰)
認知症、老衰の終末期について考えると、すでに長い間要介護4以上の状態である場合、ADLの低下は予後予測にはあまり頼りにならない。予後予測をするとすれば、体重減少が進み、栄養状態が悪化する時であり、これもまた倦怠感と同じく悪液質の症状である。したがって、その「終末期」に至る経過は多様であるが、臨死期に至るまでは余命の予測は悪液質の症状の経過を見れば可能であり、それによって、体重減少、食事摂取などの変化の節目を死の予兆として家族と共に確認することができるとしている。
調査では、顕著な体重減少を起こして死亡した三分の一のケースで、まず体重減少がみられ、遅れて食事摂取量の低下が起こっており、「終末期」の経過は悪液質という病態が底流にあり、これを確認したり、感じることによって予後を予測するというより、予後を予感するということになるのである。一般に介護現場では、高齢者が徐々に固形物で食べられなくなった時、体重減少に遅れて食事の摂取量の低下が起これば、あるいは体重減少と食事摂取量の低下が同時に起これば、死は近づいていると考えられる。また、痰が多くなり、発熱した時が「看取り」の開始時期とされているようだ。これによって「臨終期」を6ヶ月前後で推定できるとなれば、看取りの開始時期と考えて、家族にも胃ろうに頼るなどの要不要を納得していけるのではないか。
2005年以降、日本では死亡数が出生数を上回り、人口は減り続けている。超高齢社会の次にやって来る社会予測は、団塊の世代が80才を超える2030年代にわが国の死亡数はピークに達する「多死社会」と言われる。「多死社会」という言葉から受けるイメージは暗く不吉なのだが、私達はこの問題に向き合っていかなければならない。戦後、医療の進歩はめざましく、日本の医療レベルはどんどん高くなったので、80才未満での死亡数は増加しておらず、 増加しているのは80才以上の高齢者の世代からである。これはすなわち、治せる病気は医療により治しているということで、治せない病気や寿命で亡くなる人が 増加する時期には死亡数が増えているということだ。日本の医療計画では、病床数は減少することはあっても増加することはないので、2030 年には約60 万人の方に看取りの場所がない計算になる。そうなると、これからは自宅や地域の多様な施設などで、看取りを行っていく必要がある。
参照HP:Opinions
https://web-opinions.jp/posts/detail/47
生まれたばかりの赤ちゃんは、目を覚ましてはオッパイを飲み、寝返りを打つこともできない。介護保険で言えば要介護5に当るが、彼らの体重は3`前後で、体長も小さい。次第にオッパイの飲める量が増えていき、起きている時間が長くなる。寝返りし、ハイハイし、つかまり立ち、ヨチヨチ歩き、手助けなく歩くように成長し、自然と周囲の介護度=手助けが減って、背が体重が増えていく。
人間の終末期はこの逆です。人は、亡くなる前に食べられなくなることにより、脱水状態となり、徐々に眠くなる時間が増えて、ADL(日常生活動作)が低下していきます。まさに、子どもの成長と逆と考えればわかりやすいでしょう。なぜ、亡くなる前に食べられなくなるかというと、水分を体内で処理できなくなるからです。このような状態で強制的に水分や栄養を取り入れていくと、身体がむくんだり、腹水がたまったり、痰がたまったりとかえって本人をしんどくさせてしまいます。
永井康徳医師は、「身体で処理できなくなったら、できるだけ脱水状態にして自然に看ていくのが最期を楽にする方法ですよ」と説明しています。これまで、日本の医療はとにかく治すことを主眼に発展してきました。最期まで治すことを追求して、長寿を目指してきたのです。しかし、多死社会を迎え、どんなに素晴らしい医療を持ってしても、いつか必ず人間は亡くなるということにしっかりと向き合った上で、自然の死を受け入れることが必要になっていくと説きます。死は病気ではないので、身体の状態にあったちょうどよい傾眠、ADL、そして食事があれば、呼吸も穏やかに最期を迎えることができるといいます。
在宅医療では、無理に積極的な治療を行わず、つまり無理な延命措置を行わず、あくまで自然に看ていきます。それは、苦痛を伴わず、呼吸も穏やかに枯れるように亡くなる老衰死に出会うことが多いです。ご本人が楽な治療を優先し、できる限り輸液を制限していくので、老衰死の確率は高くなります。死亡診断書の死亡原因の欄に、長年生きてこられたご本人と介護をされてきたご家族への敬意を払い、自分自身の在宅医としての誇りを持って「老衰」と書くのだと永井医師の経験も話しています。
永井医師は、地域医療で最高齢の102才のおばあさんのところに、在宅医療に行き、それまでの病院勤務ではしない経験をしたといいます。それは長年、脳梗塞で寝たきりでしたが、長男夫婦の手厚い介護を受け、自宅で療養されておばあさんでした。徐々に状態が悪化し、食事がとれなくなってきました。長男夫婦は高齢でもあり、入院は望みませんでしたが、食事がとれないことを心配し、点滴を希望されました。私は本人に食事が摂れないから点滴をする事を告げましたが、ご本人は「食事が摂れないようになったら終わりだから、絶対に点滴はしてくれるな」と言い出しました。その後も、何度も家族の依頼を受けて本人に点滴を勧めましたが、頑として受け付けませんでした。家族も含め、医師としてどうすべきか悩みがあったが、無理やりの点滴をすることはできなかったのでした。
おばあさんの希望通り点滴をせず、自然に看ていきました。点滴をしないとむくみもなく、痰も出ず、楽そうでした。最期に当って、病院のように点滴したりせず、何も医療処置をせず、自然に看ていくこと経験をしたのはこのときが初めてでした。おばあさんは、約2週間後に息をひきとりました。おばあさんの顔はむくみもなく、とても穏やかで凛としていました。もし、本人の意志に反して点滴をしていたら、むくみや痰が出て、吸引をしたりは、却って本人を苦痛にしたりしていたことでしょう。本人の天寿を全うすることを医療が邪魔をしない、そんな自然な看取りも選択肢にあるんだということを初めて知ったのだと言われます。
映画『おくりびと』誕生のきっかけとなった、青木新門の著書『納棺夫日記』 には次のように書かれています。青木さんが納棺の仕事を始めた1970 年代前半は、自宅で亡くなる人が半数以上で、「枯れ枝のような死体によく出会った」そうです。ところがその後、病院死が大半になり、「点滴の針跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体」が増え、「生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。晩秋に枯れ葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである」と記しています。 死も人の大切な営みの一つです。ですから、その時が来たら、人の身体は楽に逝けるよう、死の準備をはじめるのです。身体はどうすれば楽に逝けるのかを知っています。それは、草や木と同じ、枯れるように逝くことです。
以前と同じように、食べられなくなったからといって、無理に食べなくてもいいのです。身体は楽に逝くために体内の水分をできるだけ減らそうとしていきます。そんなとき、無理に水分や栄養を入れると、体に負担を欠けることになります。むくみが出たり腹水がたまったり、痰も多くなってしまうのです。 死は人の最後の営みです。その時が近づいたら、体が求めるままに、赤ちゃんが眠ってばかりいたように、うとうとと眠り、口できる量でいいので、無理やりな介助=胃ろうは不要です。その穏やかな寝息を聞きながら、家族はお別れのときが近づいていることを静かに覚悟するのが、自然の営みに逆らわない方法です。
日本の高齢化率は急激なカーブを描きながらあっという間に欧米諸国を追い抜いて、日本は世界一の高齢化 率を誇る長寿国となりました。 今後、平均寿命は、2055 年には男性83.67 年、女性90.34 年となり、女性は90 年を超えると見込まれます。
参照HP:医療法人・ゆうの森「最新看取り事情」
http://www.tampopo-clinic.com/zaitaku/mitori02.html
2018年06月28日
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