2018年06月10日

我孫子の映画館と岡田嘉子

昨日は、「我孫子と嘉納治五郎 〜農園と別荘と〜」という講演会があって、アビイホールに行きました。講師は、我孫子市役所市職である、辻史郎さん。考古学の専門家であり、歴史を知ろうというのを正に名前で現したような方だ。我孫子には、掘りつくせないほどの貴重な歴史がつまった、びっくり箱のようなところがある。

我孫子には昭和初期に、白山のあたりに映画館があったのだとか、土地のことを良く知る方から教えてもらった。
しかも、そこに有名女優の岡田嘉子が撮影にきていたとか!
岡田嘉子といえば、奔放の際前線をいく、不倫と革命と亡命がいっしょくたになって、ソビエトに暮らして、戦後に無事に帰還して、その上に映画界にカムバックして、話題の人となった往年の美女だった。
だから、そんな有名女優が我孫子で映画をとっていたなど、ビックニュースだったろうに、話として残るどころか、聞いたこともない。だから、ホントだろうかと始めは眉唾に思ったけれど、嘘をつくわけもないその方の事だから、やはり事実有根の事だった!!!

知ってなかった、大事な事実
それはシニアは割引で映画チケット購入が出来ること。
レディースデイで映画の女性優待される日が週一ですが、最近はだいたいの映画館(シネコン)で、60歳以上に割引がある。
それもイオンシネマでは太っ腹で55歳以上なだそうで、シニアの年齢層が広いところでしか映画を観なくなったと言う人も多い。
つまり、シニアは毎日が映画デー割引と一緒の待遇をうけられるわけだった!!!

女性優待は、証明書はいらないが(!)、シニア割引は見てくれでは分からないこともある(!?)ので、
チケットカウンターで次のような申告が必要↓
1保険証、身分証明書、免許証などのいづれかを見せる
2何歳から使える?→映画館によって多少違いがあるが、60才以上はクリアです
3シニア割引の料金は?→映画館によるがだいたい1100円

我孫子にはないけど、お買い物のついでになら、
アリオ柏3F.
イオンモール(印西)千葉ニュータウン3F

上記が、近隣のイオンシネマ なので、55才以上ならOK。実年齢より、若く見えてしまう”若見え”の方は年齢確認で身分証明の提示を求めらるかもしれませんが、シニア割引利用の場合、免許証など準備していきましょう。



『女優 岡田嘉子』升本喜年著、文藝春秋社刊(税別、2300円)

嘉子は九州で細川藩の医従をしていた家系ということで、嘉子の父は新聞記者で全国を飛び回る生活で根無し草のような年に数回も引越しをしていた。

新劇界のスター女優となり、映画にも進出、順風満帆で、舞台公演の主宰者・山田隆弥とは仕事だけでなく、内縁関係にあったようですが、1927年に映画の相手役、竹中良一と撮影中に失踪、結婚までしました。しかし1936年には、演出家の杉本良吉と恋に落ちたのです。同僚のモスクワ国立演劇総合大学で演出を学んだ杉本良吉は、共産党員でもありました。

愛ゆえに決し、しかし愛ゆえに許されるわけでも、愛したがゆえに幸せになれるわけでもありません。愛はいつもいつも、結果オーライなどとはいかない。愛人、恋人であろうが、その息子であろうが、娘であろうが、影響は不幸せにしてしまう、強欲な愛情も、一途な愛のほとばしりにあると認めるしかありません。しかし、そうした愛情は、時に本人にも愛される側にとっても、残酷な結果をもたらすのです。

杉本が軍隊に招集されれば、どんな目に合うのか、思い余った嘉子は杉本と[愛の逃避行]と樺太から、ソ連に越境しました。この決死行でソ連軍に身柄を確保され、結局は、拷問とも言える取り調べを受けて激しく攻め立てられた末にスパイの自白を強要されて、嘉子には10年の刑が確定しました。しかし、嘉子の自白がもとで、杉本は自らをスパイと認めることになり、1939年に、彼女の供述がもとで銃殺刑になってしまったのです。終戦、1947年秋には、待ちに待ったモスクワへの移動許可証が交付された。仲良くなった親切な女性ニーナがモスクワの外国文学図書出版所に職を見つけてくれ、嘉子の運命は好転していきます。日本語出版物の校正や翻訳を引き受けて、夢にまで見たモスクワで、時間とお金が許す限り、劇場や舞台を鑑賞した。モスクワ芸術座の『桜の園』(チェーホフ)を見たときは涙が止まらなかったといいます。この演劇を見たいがために嘉子は樺太の国境を越えた、ためでした。

日本からの嘆願が届き、当時の美濃部都知事や色々な政治家の尽力で岡田嘉子は1972年に奇跡の里帰りをします。74年からはほどんど、日本で生活をしています。映画や舞台のほか、テレビにもいくつか出演しました。岡田嘉子は寅さんシリーズにも、存在感のある脇役として出演しています。1986年、波乱万丈な生涯を再度、モスクワに戻ってアパートの一室で暮らして亡くなると、荼毘に付され遺骨は日本に送られました。19歳の時に未婚で産んだ男児は、親元で弟として育てられ、一人息子とは一度も会う事がなかった。亡命直後の状況について、彼女は生きている間は何も語りませんでしたが、亡くなってから、ソ連の収容所で書いた、岡田嘉子直筆の嘆願書が出てきて、驚くべき事実が判明します。

「子供がいない」ということになっており、その相手の男性は嘉子にフラれて、1925年に鉄道自殺をします。愛に始まっても、愛が不幸のどん底へ突き落してしまう場合も、あり得るのです。戦争を介在して起きるとと、壮大なドラマにもなり、「ドクトル・ジバゴ」、「ひまわり」、「カサブランカ」「慕情」・・・・。



posted by Nina at 16:39| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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