石川県野々市市と聞き、直ぐに場所をイメージできる日本人は少数だろう。野々市市は金沢市の西に隣接し、面積約13㎢、人口5.2万人の小さな街。県内11番目の市として2011年に誕生した。多くの市がそうであるような、自治体同士が“平成の大合併”を重ねて作り上げた“市”ではない。野々市市は金沢市との合併話に目もくれず、自らの人口増により人口5万人の条件を満たし、市に“昇格”した希有な例として注目されている。
東洋経済の特集『地価崩壊が来る』(※2017年10月14日号)の“新陳代謝のある街ない街ランキング”においても、野々市市は首都圏の街に続き、20位に位置している。その結果に、「野々市とはどこか? 何故なのか?」といった疑問を抱いた読者も多かったに違いない。
野々市市は、市内に石川県立大学と金沢工業大学という2つの大学を擁する。とりわけ金沢工業大学は、県内では金沢大学や金沢美術工芸大学と並び、研究成果や教育水準の高さで名を馳せている。その為、元々20歳前後の若年層人口は多かった。ただ、全国の多くの地方大学都市では、殆どの学生は卒業すると他の都市に出てしまうが、野々市市は20代後半以降の人口も保ち続けていることが特徴的だ。その背景として考えられるのは、交通の利便性に加え、隣接する金沢市内と比較して不動産価格が割安であることから、若い層を中心に“そのまま野々市で暮らす”という動機付けが存在することだ。
実際、野々市市は金沢市のベッドタウンとしての機能を持つ。国道8号線や157号線、『北陸鉄道』石川線や『JR西日本』北陸本線を使えば、金沢市内の中心部にいずれも30分以内でアクセスできる。野々市市の年齢別人口割合を見ると、その優位性は裏付けられる。同市ホームページによれば、年齢15〜64歳の生産年齢人口の割合は64.7%(※2017年9月末)。これは全国平均(※2015年)の60.0%を上回る。更に注目されるのは、14歳以下の若年人口割合が16.23%と、全国の12.5%に比べて突出して高い点である。3大都市圏のべッドタウンだった東京の多摩、名古屋の高蔵寺、大阪の千里といったニュータウンは、今や人口の減少と高齢化に悩む街と化している。通勤の為に“泊まる”だけの街だったベッドタウンは、既にその存在価値を問われているのだ。野々市市も金沢のベッドタウンとしての役割を負う存在に過ぎず、今後は同じ軌跡を辿るのだろうか?
確かに、市内に本社や有力な事業所を置く企業は少なく、市内で職を得て市内のみで生活する環境下にあるとは言えない。だが、野々市市を具に観察すると、言い方は悪いが、「この市は見事に金沢市に“寄生”している街と言ってよいのでは?」と感じる。
3大都市圏の巨大なベッドタウンは、都心まで1時間以上の長距離通勤の下で成立していた。それに比べて野々市市は、車や電車で僅かの距離の金沢市に、その一部分であるかのように寄り添い、金沢市の事業所機能や商業機能を利用して寄生しているのだ。そう考えると、野々市市は単なるベッドタウンではない。寧ろ、コンパクト化していく新しい都市像を物語っていると言えよう。
出典:東洋経済 1月20日号「人の集まる街・逃げる街」
執筆者:
牧野和弘 1959年、アメリカ合衆国生まれ。東京大学経済学部卒。『第一勧業銀行』(※現在の『みずほ銀行』)や『ボストンコンサルティンググループ』を経て、1989年に『三井不動産』に入社。『三井不動産ホテルマネジメント』に出向した後、2006年に『日本コマーシャル投資法人』執行役員に就任し、J-REET(不動産投資信託)市場に上場。2009年に『株式会社オフィス・牧野』、及び『オラガHSC株式会社』を設立し、代表取締役に就任。2015年に『オラガ総研株式会社』を設立し、代表取締役に就任。著書に『なぜビジネスホテルは、一泊四千円でやっていけるのか』(祥伝社新書)・『2020年マンション大崩壊』(文春新書)等。
2018年03月22日
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