2018年01月16日

阪神淡路大震災から23年

1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した兵庫県南部地震が起きたのは、芦屋から我孫子に転居して、8年目というところだった。お正月気分も過ぎた寒い朝、目覚まし代わりのタイマーで6時ごろにラジオがついて、飛び込んできたニュースが「今、関西で大地震が起きました」と言うものだった。別れてきたとはいえ、仲よく遊んでくれた子ども達のことが気になった。その日に電話つながったが、しばらくするとかからなくなってしまった。何をしてあげられるだろうか、と考えるようになって、交通もままならない中で、現金書留なら、兎も角も届けるか、戻ってくるかしてくれるだろうと寸志を送ることにした。それが無事に届けば、いつか電話で連絡がくるだろうと考えたからだった。一か月くらいしたのだろうか、二人の友人から電話がかかってきて、仮設の状況や人々の様子を話してもらうことができて、当時には日本初の女性市長が誕生したばかりの芦屋だったが、行政の職員、そしてボランティアの人たちの大変な状況を話してくれた。
住宅ローンの残るマンションを出て、新たにローンを借りる事が出来る人、親戚・縁者に資産がある人、そうでない人でそれからの暮らしは変わったという。数か月後には、まさに格差を見せつけれていくし、仮設で見知る新たな人の側面というのにも、社会は今までにないストレスを抱えるのだと友人は話した。それまでのように仕事ができなくなったり、やむを得ないとはいえ無力さを感じたり、みんなが苦しい思いをしている時に、愚痴を言えない状況の中で悶々とする。それだけでは済まない、障がいを持った子供のいる家庭は更に大変だった・・・。信じられないことに高架になっていた部分の高速道路が倒壊したのを目にして暮らす日々、芦屋の美術館も閉鎖になったり、暗いニュースばかりだった。一月のあの時、ちょうど受験シーズンだった・・・。

その後、芦屋の友人がつくった震災についてのブックリストの頒布を手伝って、新聞に紹介することになった。多少とも、そうした心の痛みを共有してくれる人が各地にいるのだと伝えられて、何かしらの力になったようだった。そして、立候補した話をしたら、転居先の神戸から日帰りで応援にきてくれた。東日本大震災の起きる1年ほど前、彼女は大病を患った。年賀状が来なくなったのが、寂しい。




posted by Nina at 18:04| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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