2017年12月11日

白樺の町:我孫子とヴォルップスヴェーデ

 100年余り前,北ドイツ有数の商業都市ブレーメンの近郊,北北東へ25 km程の小さな村・ヴォルプスヴェーデは若い芸術家たちの拠点だった。村のほぼ中心が小高い丘陵をなしており,西から東へと広がる低地を見降している。ある意味、ハケの道ぞいの崖の上に住まうと似た光景なのではと思われる。都会からやってきた若い芸術家たちが、アトリエをもったのであるから、これまた我孫子に家に書斎をもって筆を執った白樺派のようでである。デュッセルドルフ美術学院で学んだ画学生が多くいて、一般に《ヴォルプスヴェーデ派》と呼ばれるのは5人である。ヨーロッパ絵画史の上で,現在では彼らよりも余程重要な位置を占めつつあるパウラ・モーダーブーン=ベッカー(1876-1907)が,これに含まれる場合もある。『ヴォルプスヴェーデ』を書き終える時期だ。
 この若き芸術家たちの中に画家・フォーゲラーがいた。フォーゲラーに宛てて白樺派が手紙を出しており、それが縁で『白樺』の表紙デザインやロゴも引き受けていた。白樺の多い町・ヴォルップスヴェーデで、フォーゲラーは自邸を「白樺の家(バルケンホフ)」と名付けていた。

フォーゲラー第三巻10-12.jpg

 フォーゲラーにドイツ語で手紙を出したのは、当時、兼子に思いを寄せる若き柳宗悦だった。柳は200通を超えるラブレターを兼子に送ったことが後々に分かるが、白樺はは友情と恋愛にもロマンチックな青年たちだった。

 下記のフォーゲラーのエッチング作品のタイトルは『春』、白樺の木立を前にして座る女性の衣服が和装の帯を結んだように見えるのは、フォーゲラーのジャポニズム趣味の表れと思われる。

春.png

我孫子の町は、どうやら北ドイツやデンマークの芸術村の田園風景の趣があったようで、日本の100年前には白樺派が我孫子に移住してきたと考えられる。今、学会ではこうした研究がされていて、我孫子との関係もいずれ重要視されて、海外の研究者も訪れるようになるのではと期待する。




posted by Nina at 21:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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