議員一期目、千葉県内の先進的な取り組みをする佐倉市の例を聞いて同行(長崎)させてもらったことがあった。平和条例・宣言を行う街として、中学生の派遣が行われるのをを知り、当市においては平和都市宣言はしていたが、条例の制定も必要であると行動を興す事になった一つのキッカケだった。戦後60周年に向けようと議会で質問を重ねた。条例制定前にも行われた、初めての中学生広島派遣(その後も一度)に同行し、現地に用意される自治体席に引率の先生らと坐って、式典に参列、献花を経験した。この事業が続けられるようにするにも条例制定が鍵になると思えた。
議会・行政からは、今なぜ条例が必要かなどとも問われる場面があったが、積極的に応援してくれる同期議員がいたので、あらゆる機会に勉強もした。沖縄、長崎へも視察に行った。そして、高齢化の被爆者の会の方々にはなぜ、条例が戦後60周年に制定できないかと、平和の碑の前で清掃など頑張っておられるので胸がいたかった。4年の月日が掛かったが、行政の理解も得て、議会でも多数を得て制定、その後は市民委員の皆さんと派遣生徒OB・OGでリレー講座を続け、地道な活動は、広島から「禎子鶴」の贈呈もあり、市民の参加も盛んになっている。星野市長には、積極的に取り組んで、平和の灯を設置、平和市長会議にも参加されるなど、頭がさがる。条例が出来ることによってこれほど、行政が動き、学校が動いていくものかと、議決によって如実に変化をすることを経験した。十年一昔だの感だ。
今回、平和事業での発表で、第二部の演劇『夏雲』も素晴らしかった。
中学生演劇の脚本というのがあるのを始めて知ったが、北川 汀・脚本 男=2・女=14 50分の内容である。
主人公・あきは3人の友達と出かけてゆく。あきは、母親が原爆二世であることを世間にしられないようにと、幼い時に養子になっていた。あきは、まだ見ぬ祖母から、40年前の夏の日、ヒロシマに何があったのかを知りたいために、修学旅行で広島に行く際に祖母に会うことを願う。
脚本を書いた北川汀は、元同志社中学校演劇部顧問であったので、主人公・あきは、聖書の歌、聖句を口ずさむことが頻繁に出てくる。しかし、舞台の十代前半の役者たちはみごとに咀嚼して、自然な演技にしていた。若い彼女たち、彼(男子は、父親役が一人だけだった)が原爆被爆後の一世、二世たちへの世間の排他的な目がどんなであったのか、多くの人が目の前で死んでいく恐怖の中で信仰を信じるなど、難しいテーマをに表現しなくてはならないのに、この劇を指導した先生の指導力も素晴らしいし、彼、彼女らを成長させたであろう、学校(家庭)の環境も相まって素晴らしいものがあるのだろう、ジーンときて最後まで魅入ってしまった。我孫子の多くの人に見てもらいたいし、外に出しても恥ずかしくない作品だ!と太鼓判を押す。(もっとも、演劇関係者ではないが)感動を呼ぶ舞台の再演が望まれる。