松田公太・元参議院議員のインタビューがUPされていた。
タリーズジャパンの社長だった人の政界入りは「一緒に日本を立て直そう」と2010年初頭に渡辺喜美さん、浅尾慶一郎衆院議員(当時、みんなの党)にに声をかけられての事だったと振り返る。はじめは「向いていない」と断ったが、何度もお誘いを頂いて話した結果、出馬を決意したという。みんなの党は政策の党だ。自民でも民主でもない」との部分にいちばん感銘を受けましたが、政治改革を実現しようと集まった人たちが本当にいると信じて国会に乗り込んだのです。2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙に出馬、当選。
本来、政治家は落選しても自立できるぐらいのスキルを持った人が堂々と手を挙げて挑むべきだと思います。
松田氏は「志の高い、政治屋にならない人たちが大勢立ち上がって一気に変えないと、この国は駄目になるとは思っています。」とはいうものの、二期目に出馬することなく、政界引退、事業家としての道に戻った。
国会議員は多額の歳費をもらって、それ以外にも都心の議員宿舎に格安で住めて、車が付く場合や、新幹線のグリーン車も飛行機も出してもらえます。そのような特権を合わせると約1億円の給与をもらっているようなものです。また、どこへ行ってもVIP待遇。大抵の人はその地位を手放したくないので、政策を曲げてでも再選を最優先とする。
私たちが目指した自民でも民主でもない「第3極」は、「ど真ん中」でした。個別の政策ごとに是々非々で判断するという意味で、政策によって与党とも野党とも組むというスタンスがものすごく重要だったのです。旧みんなの党の議員たちで、自民とは絶対に相容れないと言っていた人たちが数名自民にいるし、民主を批判して当選した人たちの多数が民進にいる(維新経由)。そして今度は真逆の数名が小池新党に入れてもらおうと必死。あの分裂と解党に繋がった騒動はなんだったんだ。政治家の語る政策ってなんなんだと思う。残念ながら政治家の行動は(勇気があるように見えても)殆どが選挙区事情なんです。
参照HP
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/13/election-matsuda-kouta_a_23242052/
みんなの党は「政策の党」と自負するほど、本当に国を思い、国民を思い、自ら身を削る覚悟の集団であるはずでした。それを当選のために覆してしまう同僚議員が多いことに落胆しました。解党をし多彩に、残った政党助成金は全額国民にお返しすることを主張し、実際、2015年9月に8億円以上返還しています。これは日本の憲政史上初のこととなりました。
みんなの党は路線を巡って分裂、解党した。解党後、みんなの党の基本政策を引き継ぐためにも、志を同じくする仲間と共に政党を立ち上げました。散り散りになった元同僚たちは、希望の党に多くが合流した。自民でも、民進でもない保守「第3極」政党の躍進は、党首になって、他党と交渉をしたり、会派を組んだこともありますが、代表同士がサインをして交わした協議事項でさえ、いとも簡単に目の前で破り捨てられたことがあります。そんな状況では何も信用できないと政治の闇の深さを痛感しました。そういう意味では残念ながら、希望の党の政策協定書もどれだけ拘束力があるのか。懐疑的な見方をしてしまっているところもあります。