中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞しながら、中国当局の意向で出席できないでいた劉暁波(リウシアオポー。61歳)氏が、13日午後5時35分(日本時間同6時35分)亡くなった。死因は、多臓器不全であったと、遼寧省瀋陽の病院で瀋陽市司法局が発表した。劉氏は、中国共産党の独裁を批判し、自由や民主の尊重を求める2008年12月発表の宣言文「08憲章」の起案を主導した。
1955年、中国吉林省生まれ。北京師範大講師だった88年に渡米し、民主化活動に参加。89年4月に帰国し、天安門広場でハンストを決行して「天安門広場の四君子」の一人に数えられた。天安門事件後に拘束されたが、釈放後も中国で言論活動を続けた。
2010年2月には国家政権転覆扇動罪で懲役11年の刑が確定。同年のノーベル平和賞は獄中での受賞になり、授賞式にも出席できなかった。授賞式では「私自身が中国で続いてきた『文字獄(言論弾圧)』の最後の犠牲者となることを望む」との劉氏の文章が代読された。
中国司法当局によると、劉氏は5月31日の定期健康診断で異常が見つかり、その後、肝臓がんの全身転移が確認された。6月末には遼寧省錦州の刑務所から瀋陽の病院に移送し、8人の専門医が適切に治療していたと主張している。
だが、ドイツやフランス、米国などは直前まで劉氏の出国を求め、病状が重く出国できないとする中国当局と交渉を続けた。中国側が受け入れ、劉氏を診察した米独の医師は9日、連名の声明で、出国可能とする見解を表明していた。
劉氏の支援者によると、妻の劉霞さんの抑うつ状態が悪化したため、一貫して中国にとどまり、民主化を訴えてきた劉氏も夫婦での出国に同意していた。劉氏の出国希望が伝えられると、7月1日に返還20周年を迎えた香港では、中国の民主化を求めるデモ行進などで劉氏釈放が叫ばれた。
出典:毎日新聞 7月13日
2017年07月14日
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