女性ゆえに道が閉ざされるという事が往々にして起きた。海津にいなも、そういう点では、家庭でも社会でも多々感じることがあったから、意思決定の政治の場において、女性の声を反映させなくてはと市議会議員として、立つことを決めた。さすがに、男女共同参画社会基本法が成立して、ジェンダー理解も進み、男女役割を前提とするのでない、そのひとその人の進みたい方向を支援する社会に変わってきた。女は家庭、男は企業戦士などと家庭に束縛されずに単身で赴任する事すら奨励され「社畜」という言葉まであり、女性たちは嫁ぎ先の父母たちと同居、育児、家事、介護は暗黙の了解であり、男は過労死が問題になって、女は介護地獄が重くのしかかった時代があった。
それが徐々にではあるが解消されて、ワークライフバランスの時代になってきていると思う。
そうはいっても、第一子に生まれながら、歌舞伎の舞台に立てない宿命をしったのが、寺島しのぶさんだった。母親は寺島純子は女優であり、音羽屋といわれる尾上菊五郎の娘・生まれた。女の子では跡継ぎにはなれないと決まっていたが、どうしようもない決まりと知って、慚愧の涙をながしてきた。そして、自身の息子に夢を託すという現在のことを、こう振り返っている。(以下、敬称略)
弟が6歳で初舞台を踏んだ時、「どうして年上の私が舞台に立てないの」と腹が立つやら悲しいやらで、それに男中心の梨園ですから、我が家は弟を中心に回っていて、私一人が取り残されていく気がして……
そのため人間国宝の父・尾上菊五郎(74)や女優の母・富司らに反発したこともあったという。そんななか、女優業に自らの居場所を見つけた寺島。下積みは長かったが、“芸への飢え”が彼女をトップ女優へと押し上げていった。
それでも、彼女の梨園への憧れは消えなかった。07年にフランス人のローラン氏と結婚すると、“息子を歌舞伎俳優にしたい”と発言。12年に眞秀くんが誕生すると、思いはより強くなった。母になった彼女は長男・眞秀くんの梨園入り実現に向けて動いてきた。15年2月に菊五郎が大量吐血し入院すると、寺島は「父の目が黒いうちに眞秀を後押ししてもらいたい」と本格的に“外堀”を埋め始めたという。ハーフの眞秀くんが梨園入りしようとすることに対して、陰口を叩く人も少なくない。それでも寺島さんは、めげなかった。まだ言葉も話せないうちから眞秀くんに父や弟の舞台映像を見せ続け、歌舞伎のイロハを叩きこんできた。その甲斐もあって、眞秀くんは才能の一端を見せ始めた。大人でも難しい文言が続く歌舞伎の『髪結新三』のDVDを、ずっと大人しく見ているんですよ。これには菊五郎さんも舌を巻いたといいます」
「彼女の夢の実現には、他の家元やお歴々への根回しが不可欠。それができるのは、父・菊五郎さんに他なりません。そのため寺島さんは菊五郎さんのもとに足しげく通うように。公演があるときは必ず眞秀くんを連れていくようにしていました」
菊五郎との仲を深めていった結果、15年5月の團菊祭で驚きの“事件”が起きた。千穐楽の際、眞秀くんが菊五郎の腕に抱かれながら舞台初登場を果たしたのだ。
また今でこそ眞秀くんの習い事は日舞だけだが、今後は義太夫や三味線や鼓の稽古も始めるつもりだという。「習いごとだけで1週間埋まってしまうほどのハードスケジュールです。かかるお金も相当なものになるでしょうが、彼女はそれも覚悟の上だといいます。すべては、梨園関係者らに文句を言わせないため。自分が継げなかった音羽屋の名跡を、何としても息子に継がせたいのです」 「寺島さんは、この團菊祭で海老蔵さんの楽屋にも眞秀くんを連れて行きました。そこで『眞秀があなたの大ファン。iPadの写真を見せると、いつもあなたのところで手が止まる』と伝えると、海老蔵さんは大喜びに。以来、家族ぐるみでも交流。眞秀くんは海老蔵さんの長男の勸玄くん(4)と同い年で、すぐ仲良しになったそうです」(前出・歌舞伎関係者)
菊五郎と海老蔵。梨園最強の後ろ盾を得たことで、眞秀くんの梨園入りは実現へと動いた。昨年4月に行われた取材会では、菊五郎が「(娘が眞秀を)どうしても歌舞伎役者にしたいっていうのでね。ならせるなら、ゆくゆくは梅幸を継がせるかね」と明言したのだ。
梅幸とは、もともと初代菊五郎の俳名。音羽屋の中で菊五郎に並ぶほど格式の高い名跡だ。父は、寺島の長男・眞秀くんにこの名跡を継がせる意向を示したことになる。菊之助の長男・和史くん(3)をさし置いてのこの発言は、“大逆転”として世間に伝えられた。
「もちろん音羽屋の本流は菊五郎を継ぐ和史くんです。ただ寺島さんの長男・眞秀くんは、音羽屋のなかでは女系。さらに父親が外国人という“不利”な条件下がそろっていました。そうした中での菊五郎さんの発言は、眞秀くんの将来に強力な“お墨付き”を与える意味を持つと思います」(歌舞伎関係者)
そして実現した、眞秀くんの初お目見え。寺島の胸には熱いものがこみあげたことだろう。
「眞秀くんがいま歌舞伎座の楽屋で使っている鏡台は、曾祖父にあたる亡き尾上梅幸さん(享年79)の使っていたものだといいます。それだけ眞秀くんの将来も嘱望されているということでしょう」(歌舞伎関係者)
寺島自身も2月に海老蔵からオファーを受け、六本木歌舞伎『座頭市』の舞台に立った。正調ではないが、海老蔵が新設したこの歌舞伎は女人禁制の梨園に大きく風穴をあけたことになる。40年を経て、寺島の闘いは報われようとしている――。
真秀くんが日本芸能の粋である歌舞伎が好きになるように環境をつくってしまったようだが、蛙の子に、文化の国・フランスの血も混じり、進化を遂げていきそうだ。母は強し、両親、祖父母の才能、愛情に恵まれてkawaii双葉が芽吹いてきているようだ。
2017年05月14日
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