http://www17.plala.or.jp/tougenji/syakyouzazen.html
日本仏教に魅せられたドイツ人禅僧、ネルケ無方は、日本人は世界一宗教にこだわりがないと言う。おかげで日本には宗教間の対立がほとんどない。日本人同士は宗教のことでいっさい喧嘩をしない。
仏教と神道が争うことはない。キリシタンの禁制はあったが、いまの日本人はキリスト教を否定しない。
つまり、日本人は無意識のうちに、日常生活の中で「禅」の教えを実践している。キリスト教と仏教の違い、欧米と日本の宗教観の違いを分析しながら、日本人が宗教とどうつきあっているのかを解明する
新刊『今日を死ぬことで、明日を生きる』が発売された「。死が怖いというのであれば、怖いで結構。怖くて死ねないという人はいません。怖くても、人はちゃんと死ねるのです」と説く。
そもそもお釈迦様は、生きることは即苦しむことと言い切ったのです。(一切(いっさい)皆(かい)苦(く))
「いまを生きる」ということは、「今日が自分の最期の日になるかもしれない」と思って生きるということです。そうすることで、今日という日を、自分の人生の中で最善の一日にすることができるのだと訓える。
もし最善の一日ではなかったとしても、それなりに自分で頑張ったならばそれでいい。次の日こそ自分の最期の日、次こそ最善の一日にしようと思えばいいのではないか。過去を振り返り、過度に後悔する必要はないと諭す。
2014年、安楽死した米国人女性が話題になった。末期の脳腫瘍で余命半年と診断されたこの若い女性は、婚約者もいながらのこの選択は、世界にも報道されました。 医師から処方された薬を飲み、自ら死を選んだわけで、世界に衝撃を与えました。安楽死を認めていない国が多いなかで、認めているのはヨーロッパではスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの4カ国、アメリカではオレゴン州など4つの州のみ。日本でも安楽死は法律上では認められていない。
人は誰でも死んでいくときの痛みや苦しみから逃れたいと思う。「もし寝たきりになったら、安楽死を選びたい」と思う人も多いのでしょう。仏教的に考えると、死をそのまま受け入れるのが一番の安楽ですから、痛みがあるとしても、そのまま受け入れられるとされている。
だから、名僧の良寛さんは、「災難にあう時節には、災難にあうがよく候そうろう。死ぬる時節には、死ぬがよく候。これはこれ、災難を逃るる妙法にて候」と言っています。災難にあったときは慌てず騒がず災難を受け入れ、死ぬときがきたら静かに死を受け入れる、それが一番との安楽だというのです。
むしろ、安楽死は、痛みを否定しようとする思いからきていますから、すでに安楽ではありません。つまり仏教の立場では、苦しみから逃がれるために、薬を飲んで死ぬというのは安楽と言いません。実際に、もし末期がんになり、ものすごい痛みを感じるときは、痛み止めを欲するかもしれませんが、安楽死は選択しないつもりだとネル無方は語っている。
2002年より現職。曹洞宗「安泰寺」堂頭(住職)。
ベルリン自由大学日本学科・哲学科修士課程修了。
1968年、ドイツ・ベルリンの牧師を祖父に持つ家庭に生まれる。
16歳で坐禅と出合い、1990年、京都大学への留学生として来日。
兵庫県にある安泰寺に上山し、半年間修行生活に参加。1993年、出家得度。
「ホームレス雲水」を経て、国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている。
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参照:5/12 BESTTIMES 文/ネルケ 無方
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