チューリップは、16世紀に神聖ヨーロッパ帝国の大使のビュスベクが、「トルコ語のターバンに由来する花の球根」を見つけて、故郷のヨーロッパに持ち帰った。オスマントルコ帝国(現在のトルコ)原産で栽培され,オランダの(1592年)カルロス・クルシウスに贈った。クルシウスはチューリップに関する最初の主要な本を書いて、チューリップは大変な人気が出ました。オランダの黄金時代の進展とともに、この曲線の美しい、色とりどりの花も発展を遂げました。すると、チューリップは絵画やお祭りで人気を呼びました。クルシウスの庭は襲われ、球根が頻繁に盗まれるようになりました。17世紀半ば、チューリップに人気が集中するあまり、「チューリップマニア」と呼ばれる世界最初のバブル経済を引き起こしました。人々が球根を買いあさり、高値がついて市場が崩壊するまで球根はお金として使われました。
チューリップを育てるのは手間もかからず簡単だったので、誰でも育てることができた、そこそこのお金でも、球根くらいなら誰でも売買することができた。こんな背景もあって、普通の一般市民もチューリップの売買をするようになって、チューリップ市場ができるようになりました。貴重な品種の球根は0.5グラム単位で重さが計られて、当時大流行りしていた東インド会社の株式と変わらないほどオランダ中で一般的に売買されるものとなっていきました。そういうわけで、ドイツ人医師シーボルトも極東の島国のオランダ商館で西洋医学を教えるという名目でやってきました。しかし、植物バブルのヨーロッパの機運を感じとって、えも言われぬ美しい植物を採集して持ち帰り、オランダに持ち込んで、一躍人気学者になってしまいます。日本地図も隠し持って出国したために、罪に問われる事件(1828年)にもなりましたが、日本人女性と結婚して女の子までなしており、帰国して1845年にドイツ貴族の末裔と結婚し、その10年後には日本も開国し、1859年再来日しました。1862年5月、多数の収集品とともに長崎から帰国する。2005年にはオランダ・ライデンでシーボルトが住んでいた家が資料館として公開されるようになりました。
16世紀のヨーロッパの背景をみておくと、カトリック教会の権力と腐敗への抵抗が、各地で起こり始めていた。列強国であるスペインの領土に、ネーデルラントという国があった。
ネーデルラントは、カトリック教派とカルバン主義者で分かれていた。スペインのカルロス王子はカルバン主義者を徹底的に弾圧、カルバン主義の要人を次々に処刑していった。
1568年これに立ち向かう形で、ネーデルラントのカルバン主義者を中心にスペインと独立戦争が勃発。
スペインとの戦いは長きにわたり、独立戦争開始から41年後の1609年、ついに彼らは独立を果たし、世界にオランダ国が誕生することとなる。
この戦争のことを後に人々は、オランダ独立戦争と呼んだ。
長きに渡る独立戦争を終え、繁栄を謳歌することで彼らは間もなくオランダの黄金期と呼ばれる時代へと歩み始めました。
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