スマートフォン専用ページを表示
このブログでは、地球サイズの行動派」をモットーにしてきた通り、市議・海津にいなの日々考えている事、見たこと、聞いた事、考えたこと、日々の活動を日誌としていきます。グローバルな視点で我孫子の今昔を紡ぎ合わせてABIKOと「観光」(まちの輝きを観せる意)、SDGsを率先してきたことを伝えます。
我孫子は、嘉納別荘と白樺派の関わりは深く、『リーチ先生』の新聞連載(2018)では我孫子の話がふんだんに登場していました。陶芸家として決意するリーチには、白樺派の一員として我孫子での暮らしが人生で最もハッピーな思い出だと記していた。実は、平将門の活躍の拠点だった時期もあったと調査がされてきました。NHK大河ドラマでロケ地観光のブームとなった『平将門、風と雲と虹と』(1976)の際は、まだ知られてずの郷でした。2019年では、同ドラマ『いだてん』によって嘉納治五郎の艱難辛苦がつまびらかにされ、東洋初のオリンピックが東京に決まるまでには、手賀沼もオリンピック競技施設の候補にと考えていた事が知られ、市民の浄財で嘉納銅像が建立(2020年)されました。五輪開催に奮闘した嘉納は晩年は我孫子別荘とご自宅とに半々でくらし、急逝された後にはご家族が移り住まわれていたことが近年の調査で分かってきました。さあ!智慧をもたらず巳年こそ、ねじり鉢巻きで、巻き返す年に!!

海津にいな 「あっちこち@ABIKO」活動日誌

<< 3.11 鎮魂 竹宵 | TOP | 南スーダンPKO撤収 >>

2017年03月12日

6年前を振り返って

東日本大震災から6年、それぞれの場での3月11日に何をしていたか、
そして 今、何を想うのかを振り返っていることでしょう。

次の内容は、地震が発生したときに、スペインの高校に留学していた日本人女子高生のもの。
震災2年後に、彼女が当時を振り返って綴った手記です。

--------------
.

2011年の3月11日、私はスペインで高校生をしていました。
あの日は、現地の先生たちに朝から「日本で地震があったんだって?」と私に声をかけてきてくれました。
しかし、私は当時その地震がそこまで大規模なものだなんて夢にも思っておらずに、日本で地震が起こる事なんて日常茶飯事なのに。そんなことを思いながら、大丈夫大丈夫と適当に先生方に答えていました。
それほど、あの災害は私にとっては予想外なものでした。

あの日のことは、今でもよく覚えています。
5時間目の技術の時間に、机についていると先生が私に向かって手招きをしました。
なんだろうと思いながら呼ばれるままに向かうと、先生がPCを指差します。
Youtubeか何かを開いていたようですが、一面真っ赤に染まったそれが、一体なんの動画かすぐには分かりませんでした。

「大変なことになっているね」と先生が言い、初めて私は気がつきました。
動画には、日本語のテロップがついていました。そして見えるM8.0という文字。
画面の赤は、地震によって起きた火災の炎の色でした。

これは今日起こった地震のことなのだと分かると、頭から血の気が引いていったような気がします。
先生も思うことがあったのでしょう、PCを貸してくれたので、私はそれで震源地や現在の状況をなんとか探しました。もちろん日本語など打てないので、ローマ字を使ってです。
慣れない操作と出てこない情報にイライラしながらも、なんとか震源地が福島、そして現在の状況は私が想像していたより何倍もひどいものという事が分かりました。その日の授業は、一つも頭に入りませんでした。

私の実家は福岡なので、少なくとも家族は大丈夫だろうと思いながらも不安で不安で、授業が終わってから真っ先に携帯で家に電話をしてみました。
しかし当たり前ですが混線していて通じるはずもなく、不安でふらふらしながら家に帰ったのを覚えています。 結局家族は皆無事だったのですが、それを確認するまでは本当に生きた心地ではありませんでした。

数週間も経つと、被災地や物資不足となった首都以外の場所は大分落ち着いてきたように思われますが、一つ悲しい出来事がありました。 この頃からネットを通じて日本に住んでいる人たちと話していると、よく「海外にいて良かったね」言われるようになりました。 上記の言葉だけでも個人的にもやっとしていたのですが、中には「日本は放射能がヤバいからこのままそっちにいたほうがいいよ」とか「海外逃亡できて羨ましい」とまで言う人もいました。

この言葉らには、本当に涙が出るほどの怒りが沸きました。

私はその時までは想像もしたことも無かったのですが、海外にいる以上、日本の情報というものは自分に届くまでにかなりの時間がかかります。情報、例えば地震の規模だったり震源地だったりとそういった事もなのですが、我々海外に住む人たちは「地震が起こった」という日本にいればまず全国の人が数分で知るであろうことすら、数時間経つまで気づくことができないのです。 2年前、地震が起こったのが日本の午後3時前、スペイン時間に直すと朝8時ごろ。私がちょうど起き出す頃です。

ベッドから出た私は、その時日本で多くの人が地震の恐怖に耐えていただなんて欠片も考えずに朝ご飯を食べていました。 色々なところが火災に見舞われている中で、私は普通に学校に登校し、授業を受けていました。 たくさんの人が苦しみながら水に飲まれていた間、私は何も知らずにノートに落書きをしていました。

地震が起こったということが分かった時なによりも怖かったこと、それは「日本でとんでもないことが起きていた時に、知らなかったとはいえ自分はへらへらと笑っていた」ということです。 今回の地震の件は、自分の家族には何事もなかったので不謹慎ながらも良かったと言えますが、これから先、このようなことはまだまだ起こりうります。 極端な話、例えば日本が沈没したとして、その瞬間私はそれに気がつくことも出来ずに友達と笑いあっている可能性だって0ではないのです。

その事実が私にはどうしようも無く、怖くて恐ろしく感じました。

確かにいざ被災された方や日本にいた方の恐怖は私のものとは比べ物にならないかもしれません。
しかし私にとっては「情報が入ってこない」というのが本当に怖く、夜ベッドの中で上記のようなことを想像し不安でなかなか寝付けない日もありました。 なので現場にいなかったからと言って、あたかも私がラッキーと手放しに喜んでいるとでも思われているのかなあと思うと、とても悲しくなりました。

放射能がどうだ、地震がどうだと2年経った今でも色々と騒がれていることは多々ありますが、17日後に迫った帰国日が私にとっては楽しみでしょうがありません。 間違いなく日本は私の母国であり、故郷です。

災害後、ネットで色々な心温まる災害当時のエピソードを読み、日本人の団結力に深く感動しました。
そんな強靭な故郷を心から誇りに思うと共に、今でも震災の爪跡が残る日本に2年経った今だからこそ貢献できる形があるのではないかと思っています。 以上、私が2011年3月11日に起こった大震災を通し思ったこと、感じたことでした。

蛇足ですが、ちょうどその日から1年後の2012年3月11日、当時通っていたスペイン語教室から帰ろうとしていた時に、他のレベルのクラスにいるポルトガル人の子と知り合いました。その子が私に「知っている日本語の歌が一つある」と言い、歌ってくれた曲、それは坂本九の「上を向いて歩こう」でした。海外でもかなり有名なこの曲を彼女が知っているのは、そこまで不思議なことでは無いかも知れません。

それでも夕焼けの中で聴く彼女の歌声はどうにも私の胸を揺さぶり、世界は繋がっているのだなあと涙が零れてしまいました。

--------------
私の娘の場合は、海外にいたのに選挙の手伝いに帰ってきてくれ、家の外に出ている時にいつにない地震の大揺れを経験しました。そのうちに、テレビで津波が押し寄せるさま、引き波によってさらに深くえぐられる事態を真のこととは受け入れられず見ていました。すると、次に原発が「大丈夫」かということになり、次々に今まで聞いたこともないような、放射能に関する単位や専門用語で、「ただちに」は分からない状況になりました。娘の海外の友人たちが、「日本は危ないから、海外に脱出するように」とメールをくれるのだと言って、国外のほうが騒然となっているというのを知りますが、日本では放射能のことはそれほど報道されず、したがって判断するにも海外の噂を真に受けるわけにもいかず、でした。それほど、国内の報道は規制をしかれていた、事実認識を国民に伝えないでいたのだと、今は思えます。

そして、変わったばかりの政権が変わった。
今、思うのは、ここ我孫子にいたけれど、ホットスポットの影響をいわれたけれど「ただちに影響はない」と言われた通りではあり、しかし、その後、何十年たったときに一人も影響が出ないかどうかは、当時の声明を出した人も実のところは分からないでいた、ということです。避けがたい不幸に遭遇するのは、滅多にないとタカをくくっていたのが、日本の中枢に近い場所=首都圏にありながら、おきたということです。自分たちの経験した事をどう受け止めて、落ち込むばかりでなく対処するか、それは、その時の自分の年齢、環境、によって違うのだろうと思う。


参照:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00010002-storys-life












【関連する記事】
  • 外国人との離婚で子供の同伴帰国が罪に?!
  • ダブルの悩み、多様性
  • 安倍のマスク
  • 好奇心を忘れない、それが成功への初めの一歩
  • やったもん勝ち、というのも一理あり
  • 我孫子市の清掃事業の現状
  • 投打で活躍解禁、大谷GO!!
  • 食卓を大事にすること
  • 日本人の生真面目さ
  • 自治体の責務、ごみ処理の経費
  • コホミンでの若き音楽家コンサート     市制55周年を祝う
  • 米国家情報長官、広島訪問後「核なき世界」訴え
  • そこまで言って委員会NP
  • 心根の持ち方次第で
  • 正しい休み方 
  • コミュニケのチカラ
  • 議論する是非をわきまえて対応すれば良し
  • やってみなはれ
  • 古代人類史からの未来予測
  • ミスター89、背番号3、長嶋茂雄さん逝く
posted by Nina at 08:06| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索ボックス
 
QRコード
PROFILE
ブログ製作者:海津にいな                 (KAIZU Nina、新菜)。
経歴:(株)発明工房役員、我孫子市議会議員(5期)を続行中。児童英会話インストラクター、野村総研(政策研究部所属など)勤務した。放送大卒、立教大学(観光学研究科 )修了。筑波大学大学院(博士課程後期 単位取得退学)
コミュニティ−活動:めばえ幼稚園・四小PTAの役員/青山台自治会副会長・三小・我中PTAの役員/久寺家学習指導(書道)、生涯学習推進基本計画策定委員(’99) 
NGO活動、他:NGO・ACT(我孫子カルチャー&トーク)の会、開かれた県政を進める会世話人(〜‘09)、女性のための政治スクール(10期)、千葉県ボランティアコーディネーター、千葉県観光人材育成セミナー。日本観光研究学会、eシフト、自殺対策議員有志の会、自治体ウオッチ(世話人)。
市民活動:我孫子市国際交流協会(初代理事・広報部長)、我孫子の文化を守る会、我孫子フィル後援会、我孫子地産地消協推進協議会、我孫子市消費者の会(`90〜)、エコライフ、谷津を守る会、かっぱ祭り実行委員(第1〜3回)、AYA(フィンランド劇団招聘)、きもの愛好会、湖北山の会、市史研究センター会員、まちづくり編集会議:将門プロジェクト企画。
生涯学習:オープンスクール(武蔵野美大、川村学園女子大学、中央学院大学、麗澤大学、上智大学、放送大学)にてリカレント他、国際理解活動の必要からギリシャ語、スペイン語、仏語、韓国語、英語を学ぶ。CCC(異文化コミュニケーション=英会話クラス)
Emailabkkaizu●gmail.com
http://akiplan.blush.jp/ninakaizu/ 色絵我孫子風景図鉢 1918.jpg
過去ログ
2025年06月(22)
2025年05月(31)
2025年04月(30)
2025年03月(32)
2025年02月(30)
2025年01月(30)
2024年12月(31)
2024年11月(23)
2024年10月(31)
2024年09月(30)
2024年08月(31)
2024年07月(31)
2024年06月(30)
2024年05月(29)
2024年04月(29)
2024年03月(30)
2024年02月(29)
2024年01月(31)
2023年12月(31)
2023年11月(30)
2023年10月(31)
2023年09月(30)
2023年08月(31)
2023年07月(31)
2023年06月(30)
2023年05月(31)
2023年04月(30)
2023年03月(31)
2023年02月(28)
2023年01月(31)
2022年12月(31)
2022年11月(30)
2022年10月(31)
2022年09月(30)
2022年08月(30)
2022年07月(31)
2022年06月(29)
2022年05月(31)
2022年04月(31)
2022年03月(31)
2022年02月(29)
2022年01月(30)
2021年12月(31)
2021年11月(30)
2021年10月(31)
2021年09月(29)
2021年08月(31)
2021年07月(33)
2021年06月(30)
2021年05月(31)
2021年04月(29)
2021年03月(31)
2021年02月(28)
2021年01月(34)
2020年12月(31)
2020年11月(30)
2020年10月(31)
2020年09月(30)
2020年08月(31)
2020年07月(31)
2020年06月(30)
2020年05月(31)
2020年04月(30)
2020年03月(31)
2020年02月(28)
2020年01月(28)
2019年12月(20)
2019年11月(27)
2019年10月(32)
2019年09月(30)
2019年08月(31)
2019年07月(30)
2019年06月(30)
2019年05月(31)
2019年04月(30)
2019年03月(31)
2019年02月(28)
2019年01月(31)
2018年12月(31)
2018年11月(30)
2018年10月(31)
2018年09月(30)
2018年08月(31)
2018年07月(31)
2018年06月(30)
2018年05月(31)
2018年04月(30)
2018年03月(31)
2018年02月(28)
2018年01月(31)
2017年12月(31)
2017年11月(30)
2017年10月(31)
2017年09月(30)
2017年08月(30)
2017年07月(31)
2017年06月(31)
2017年05月(31)
2017年04月(30)
2017年03月(31)
2017年02月(28)
2017年01月(31)
2016年12月(31)
2016年11月(30)
2016年10月(31)
2016年09月(30)
2016年08月(31)
2016年07月(31)
2016年06月(30)
2016年05月(31)
2016年04月(30)
2016年03月(31)
2016年02月(29)
2016年01月(31)
2015年12月(31)
2015年11月(30)
2015年10月(31)
2015年09月(30)
2015年08月(31)
2015年07月(31)
2015年06月(30)
2015年05月(31)
2015年04月(30)
2015年03月(31)
2015年02月(29)
2015年01月(31)
2014年12月(31)
2014年11月(30)
2014年10月(31)
2014年09月(30)
2014年08月(31)
2014年07月(31)
2014年06月(30)
2014年05月(31)
2014年04月(30)
2014年03月(31)
2014年02月(28)
2014年01月(31)
2013年12月(31)
2013年11月(30)
2013年10月(31)
2013年09月(30)
2013年08月(31)
2013年07月(31)
2013年06月(30)
2013年05月(31)
2013年04月(30)
2013年03月(31)
2013年02月(28)
2013年01月(31)
2012年12月(31)
2012年11月(30)
2012年10月(31)
2012年09月(30)
2012年08月(31)
2012年07月(31)
2012年06月(30)
2012年05月(31)
2012年04月(31)
2012年03月(31)
2012年02月(23)
2012年01月(13)
2011年12月(19)
2011年11月(25)
2011年10月(17)
2011年09月(26)
2011年08月(22)
2011年07月(19)
2011年06月(25)
2011年05月(23)
2011年04月(9)
2011年03月(25)
2011年02月(22)
2011年01月(14)
2010年12月(10)
2010年11月(7)
2010年10月(13)
2010年09月(13)
2010年08月(15)
2010年07月(7)
2010年06月(8)
2010年05月(4)
2010年04月(12)
2010年03月(8)
2010年02月(6)
2010年01月(7)
2009年12月(9)
2009年11月(4)
2009年10月(13)
2009年09月(7)
2009年08月(6)
2009年07月(4)
2009年06月(3)
2009年05月(1)
2009年04月(1)
2009年03月(4)
2009年02月(3)
2009年01月(4)
2008年12月(3)
2008年11月(3)
2008年10月(1)
2008年09月(12)
2008年08月(3)
2008年07月(3)
2008年06月(1)
2008年05月(2)
2008年04月(1)
2008年03月(1)
2008年02月(2)
2008年01月(1)
2007年12月(2)
2007年11月(5)
2007年10月(2)
2007年09月(3)
2007年08月(5)
2007年07月(4)
2007年06月(12)
2007年05月(10)
ブログへのコメント
我孫子市民プライドは、ふるさと評価は反比例
 ⇒ 志賀 桑弓雄 (03/29)
 ⇒ 志賀 桑弓雄 (03/29)
明日に向けて Goo!
 ⇒ 及川正尋 (01/03)
精米1ヶ月程で商品棚から撤去とは
 ⇒ 及川正尋 (08/11)
『リッチランド』、米核燃料製造の街のその後
 ⇒ 及川正尋 (08/10)
悲喜こもごも@Paris 2024
 ⇒ 及川正尋 (08/10)
「歴史的暴落」、市場の危うさ
 ⇒ 及川正尋 (08/07)
超高齢化、直下型地震への都の対策
 ⇒ 及川正尋 (08/06)
ネパールと日本、我孫子(若松)での友好支援
 ⇒ 及川正尋 (08/06)
非暴力理論
 ⇒ aki (01/11)
我孫子市議選、スタート
 ⇒ 古谷一成 (11/14)
<< 2025年06月 >>
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
〜考え、選び、行動する〜E-citizen@ABIKO 「いいね!我孫子」 我孫子市つくし野1-22-28 ☎・Fax 7184-9828 Email:ninakaizu●gmail.com  http://testxmobile.seesaa.net/  もご覧ください (^_-)-☆
Powered by Seesaa
Seesaaブログ
RDF Site Summary
RSS 2.0
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える