来日中の国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が20日、筑波大の名誉博士号を授与された。前任のジャック・ロゲ会長が本学名誉博士であること、これまで筑波大学が行ってきたオリンピック・ムーブメント推進活動の一環で今後もオリンピック・ムーブメントの推進に貢献するバッハ会長には、都内の筑波大学キャンパスで開かれた記念式典で、東京都の小池百合子知事や2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長、スポーツ庁の鈴木大地長官も出席したイベントが開催された。
筑波大は20年大会に向けてスポーツ団体で働く国際的人材を育成するために「つくば国際スポーツアカデミー」を開講している。バッハ会長は「五輪が教育において果たす役割」をテーマに講演、IOCのもとでの、国と東京都の連携姿勢を強調した。2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けては、IOC、東京都、政府、組織委員会の4者での作業部会の設置が決まっているが、4者の代表が一堂に集まるのは初めての機会となった。
永田恭介筑波大学学長は「バッハ会長のスポーツ、スポーツ科学に対する見識はもとより、本学のオリンピック研究に共鳴いただき、ご支援いただいた功績に対し、名誉博士号を贈呈したい」と筑波大学の前身校である、東京高等師範学校の校長で近代柔道の父で、アジアの最初のIOC委員の嘉納治五郎氏について触れ、IOCと筑波大学の縁について語った。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長は「1973年に東京教育大学を、筑波に移すということを大学改革の中でおこなったという、ご縁があります。民事学校設置法の一部改正がありまして、その法案について、最初の本会議で登壇して演説したのが私です。国会議員になって初めて本会議で登壇し、演説したので私は筑波大学に対して特別な思いがあります」と自身の筑波大学に対する思いを語った。
小池百合子東京都知事は「バッハ会長、誠におめでとうございます。前述の嘉納治五郎先生は、1940年の東京オリンピック招致に尽力されたと聞きます。そして、この度バッハ会長の博士号授与、素晴らしいご縁であると思います」と祝辞を述べた。
名誉博士号を授与されたバッハ会長は「この栄誉に心から感謝します。この博士号は私自身ではなく、IOCの代表として承ります」とコメント。筑波大学はオリンピックと深い縁があるといい、嘉納治五郎氏と古代オリンピックを現代に蘇えらせた、第2代IOC会長ピエール・ド・クーベルタン男爵が同じ教育者であったことを挙げ、その男爵の「何の価値観もないパレードはただの軍事パレードである」という言葉を借り「何の価値観も持たないスポーツはただの娯楽である」とオリンピックの意義を語った。
さらにオリンピックのいくつかの競技の被災地での開催を提案したことについて、バッハ会長は「これによりオリンピックが被災地の復興に寄与でき、被災地からも復興メッセージを送れる。2020年東京オリンピックがその未来への一歩となり、未来に渡り記憶として残ることを望む」と先日、安倍晋三内閣総理大臣との会談で提案したオリンピック一部競技の被災地開催についてその想いを語った。
最後に中村筑波大学教授とバッハ会長による書道のアクティベーションがおこなわれ、バッハ会長と中村筑波大学教授は、オリンピックの起源とされる、紀元前8世紀ころの東洋の文字を書にして「五輪精神」という文字を披露し、四つの文字の最後の「神」という文字の一部をバッハ会長が書いた。
トーマス・バッハは、ドイツの小さな村で生まれた。フェンシングの選手として、モントリオール大会で、団体で金メダルを獲得、後に弁護士となった。バッハ会長は「ホスト国には、繁栄し、団結し、オリンピックを開催する日を日々待ちこがれていてほしい。しかし今の世界で、それは夢でしかない」と、現実を直視している。17日間のスポーツ大会のために巨額の金を投じて街をつくり変えようという都市は、今では少なくなった。2022年の冬季オリンピックだけでも、オスロ(ノルウェー)とストックホルム(スウェーデン)が費用の問題から立候補を取り下げ、サンモリッツ/ダボス(スイス)、クラクフ(ポーランド)、ミュンヘン(ドイツ)が住民投票で反対が多数だったことから立候補を取りやめた。そして、 開催都市は北京に決まった。雪がない街だが、重要なことに、住民投票もないからだ、という。
2016年10月20日
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