毎月、娘は月命日だといってお参りにくるので、当然のことながらお墓にお花が上がっているか、様子を見に来るだろうと思ったら、やはりだった。
「ハロイーンのかぼちゃ、お花、レニらしくて良かった。ありがとう」とメールが来た。
何を隠そう、隠す必要はないが、レニとは、うちの天然記念物猫だった。22歳半の付き合いで、そもそもは友人宅のお余りだった。ハワイに旅行するということで、預かることになった。雪の日の朝に野良猫がウチの敷地で6匹の子猫を生んでいた、かわいそうなので、猫嫌いの夫の許可を得て、玄関で雪の解けるまでおいてやることにした。しかし、あっと言う間に可愛くなって、庭を走り回り、そのうちに雄猫の牙にかかって一匹がいなくなり、母猫は必至だった。となると、家にまたもや入れてやる。が、まさか捨て猫にするわけにもいかないので、貰い手をさがして、猫の雑誌2冊に掲載をたのんだ。すると、神奈川から子猫を見に来て、欲しいと言ってもらっていってくれたり、全部貰い手が見つかってしまった。すると、夫がポツリ「全部あげちゃうなんて、さみしいじゃないか」と。そんな時に、一匹がまだ、「時々、戻したりするので、早すぎるみたいです。もう少し大きくなったら」、と戻ってきた。そこで、母猫もホットして、白(子猫・シーザー)黒(母猫・クレオパトラ)の二匹で、平和な外猫生活をしていた。ところが、またもや近所の雄猫が、子猫を狙って、牙をむいた。母猫の傍に子猫がいると母親とのアバンチュールが楽しめないと邪魔にするからだ。危ういところを追い払ったが、子猫は絶命寸前のように見えた。やむなく、近所の動物病院で手当てしてもらった。九死に一生で、少しずつ元気になって立ち直った。夫は青い首輪を買ってきた。シロちゃんが我が家のアイドルになった日だった。そこへ、ホームステイの米国人の猫好きの少女がやってきて、しばらく楽しく賑やかな日々が続いた。ところが、彼女が帰国が近くなって、シロちゃんの具合が悪くなって、病院通いが続いた。駐車をしてもらったり、家で強制栄養とか、食べなくなった子猫にチューブでご飯を食べさせたりもしてみたり、しかし、とうとう亡くなった。クロちゃんはシロちゃんの傍に一日ごはんも食べずにくっついて寝ていた。だんだん、体が硬直して、クロちゃんも諦めた。猫好きのエリンちゃんはお墓の作り方を教えてくれた。夫は埋墓に立ち会えなかったのを残念がった。あんな猫嫌いが涙するほど変えてしまった。
そんなわけで、その預かったのが、たまたまシロちゃんと同じ月数のシッポのながい白猫であったので預かろうということになった。それが、また気の強い性格なのか、顔つきが全く違う奴だったので、初めは返すつもりだった・・・・二週間預かっているうちに、夫が貰おうよ、と言い出した。即、話はキマリ、嫁入り道具ならぬ、猫砂、キャットフードがたっぷりついて、我が家のレニになった。因みに、名付け親は友人のヨーコさんだ、彼女はドイツ文化が大好きで、レニ・リューフェンシュタインという美人女優兼映画監督という、その名前を気に入っていて、猫の名前にしたというので、レニはうちでもレニになった。
しかし、まさか、猫がそれほどの長生きだとは知らなかったので、小学生の子供だった娘たちと、猫嫌いの夫の変身ぶりもあって、預かったのが貰うことになって、我が家の楽しいエピソードの一つだった。そして、看取りの経験もした。いろいろに命の在り方を教えてくれた。
今やスーパーキャットだとの敬称になって、手賀沼沿いの桜の記念樹にプレートをつけて「桜プロジェクト」にも第一番で参加(来春)する。何がスーパーかというと、9.11を乗り越え、3.11を乗り越え、10.11に亡くなったら、記念樹の呼びかけがあって、多数応募の一つになって、寄付(3万円)に応じることが出来たのでプレートにSUPPER CAT Reni 1011と刻む栄誉を頂けたからだ。
レニありがとう、あなたの後釜はいません。
(飼い主もまもなく高齢者に突入です)