2016年08月07日

真田丸 朝鮮出兵のその後

NHKドラマ「真田丸」で秀吉の老いゆく姿がリアルに演じられて話題です。
秀吉軍による文禄・慶長の役で朝鮮から連れてこられた人たちがいました。いわゆる人も、戦利品の時代で、日本で作ることのできない陶磁器の名品は朝鮮渡来のものでした。多数の陶工が連れ去られ、伊万里(佐賀)にも連行された。日本国内を自由に移動できず、 鍋島家の領内を移動することができただけです。

他方、朝鮮王室の陶磁器製作所「分院(プノン)」を舞台に、朝鮮初の女性沙器匠をモデルに作られた韓流ドラマ 「불의 여신 정이」(邦題「火の神ジョンイ」)が民放で放送中です。このヒロインには、実話モデルがあり、陶工“有田焼の母”として賞讃されるペクパソン(百婆仙)ということです。

はじめ、連れてこたれた直後、陶工たちは武雄に窯を構え、その後、有田で良質の陶土が発見されたことから、 有田に本拠を移しました。 武雄も有田も佐賀県内で、鍋島藩領だったところです。その朝鮮人陶工の頭領が亡くなって、陶工の夫と一緒に倭国に連行された彼女は、一族を率いて、有田町の稗古場(ひえこば)へと移住し、そこで窯をひらきました。後に“有田焼の母”と言われているようになる女性です。現在も有田では百婆仙を“有田陶業の祖”として称えているほどで、当時、朝鮮から来た陶工たちの中でも、特に優れた技術を持っていたため、指導者として崇められたのです。その業績を称え、有田町の報恩寺境内には、百婆仙の碑が建てられたほど。ちなみに、この名前・百婆仙は、敬称だということです。平均寿命の短かった当時、96歳まで長寿を保ったことから、その子孫が、その姿が温厚で、彼女を敬愛してこう呼んだ名前だそうで、実は本名は不明だそうです。

朝鮮の王様の窯元ですから、そこで頭領になる人々は血の滲むような努力を重ねて、研鑽をつんでいた、その様子をドラマは描いています。日本のやきものは画期的な飛躍を遂げたが、こうした先進産業の技術者をつれてきて、従事させた。つまり、日本の焼き物文化は、朝鮮から多大なる影響を受けた・・・という話は、学校でも歴史の授業で習いますが、こうして実在した人物が、望郷の念と異国で死を迎える悲しみも想像されます。有田焼の誕生とその後の発展があったのは、まさに百婆仙をはじめとする朝鮮陶工の貢献があったからですね。

真田丸を通して、英雄にも老いがくること、韓流歴史ドラマでは、朝鮮の文化や、人々の暮らしを幅広く知ってもらえそうです。百婆仙と有田焼をめぐる物語には、日本においても新たな日韓関係解決のヒントが隠されているような気がします。

posted by Nina at 19:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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