我孫子に別荘をもった嘉納治五郎と勝海舟の繋がりは治五郎の父の代から深い。柳宗悦の母の名前「勝子」とは勝海舟の一字を取ったと言うくらいであるから、宗悦の思想形成にも影響を見せたと考えられる。 勝海舟に次のような言葉がある。
「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。
毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。
各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候」というものである。
つまり、自らの行いは、すべて自分の責任である。 陰でほめようが、誹(そし)ろうが、それは人の勝手である。自分にはあずかり知らぬこと。どなたにお示しいただいても、まったく異存はない。とさらりと言ってのける、且つらしさである。
この考えかたは禅にある、「八風吹不動(八風(はっぷう)吹けど動ぜず)」によるのではないか。
つまり、ろうそくの火は風に揺れ動く。そのように、人の心も八つの風によって揺れ動き、惑わされるが、それを不動のものにせねばならないという意味だそうだ。
ここであげる八つの風とは何か。
利・衰(すい)・毀(き)・誉(よ)・称(しょう)・譏(き)・苦・楽である。
利…利とは、たんに金銭的利益だけではなしに、わたしたちの意にかなうものはすべて利である。利をもって誘われると、わたしたちのこころは、ついふらふらと動いてしまう。
衰…利の反対が衰で、わたしたちの意に反するものを言う。金銭的な損失だとか、左遷など。
毀…毀とは陰でそしること。
誉…逆に陰でほめるのが誉である。
称…称は目の前でほめること。
譏…反対に目の前でそしるのが譏。
苦…仏典によると、苦は「逼悩(ひつのう)」の義だという。すなわち、「圧迫して悩ます」である。苦によって、わたしちのこころは乱れる。
楽…逆に楽によっても、わたしたちのこころは揺れ動く。注意せねばならない。
八風のうちの四風(毀・誉・称・譏)が、いわゆる「毀誉褒貶(きよほうへん)であって、要するに世間の評判ばかりを気にしない。“風評”という言葉があるが、まさに「風」である。そんな「風」に動じない、不動心を確立せよ…というのが禅の教えに基づいている。
釈迦さまは「ただ非難されるだけの人、ただ称賛されるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろうし、また現在もいない」と達観されておられる。
仏教にもとづく禅が東洋の精神の中にあるわけだが、もちろん西洋でもダンテが神曲の中で 「汝の道を行け、而して人の語るにまかせよ」といっているのと通じるのではないか。
自分の信じる道を行く、その結果何を言われても気にしない。人の語るに任せる、言いたい者には言わせておけ、という大志を目指す人の気概を指していた。
八風が吹いても、にっこり笑って、さらりと受け流す。
「人の語るにまかせる」ことができる器の大きな人を目指して精進したい。
ひろさちや『がんばらない がんばらない』PHP文庫
2016年02月16日
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