私が若い人たちを特に好きになったのは「3・11」の後です。被災地を慰問に回ったら若い人たちがびっくりするほどたくさん来て、黙々と働いていたんです。どうして来たのって聞くと、直接の被害を受けていない自分もある日、突然、日常が壊された。会社にも行けなくなった。原因を確かめたくて来たが、あんまりひどいので「手伝わずにいられなくなった」って。その姿を見て、話を聞いて、いっぺんに今の若い子たちが好きになってしまった。だから私はSEALDsがごひいきなの。あなたたちは、どうしてSEALDsで活動するようになったの?
中川えりな: 勉強会で安保法制反対のビラをもらったんですが、座り込みとかデモに行くのって怖いなって迷ったんです。けど、ちょうどその日が19歳の誕生日で。誕生日に初めての座り込みに、ってインスタグラムやツイッターに写真を載せたらおもしろいかもって思ったんです。その時は若い人は全然いなかったんですが、あっちに若い人たちがいるよって、知らないおじさんが教えてくれました。
谷こころ: 私は、知人が沖縄の辺野古のドキュメンタリー映画を撮っていたんです。それもあって辺野古に行ってみたら、特定秘密保護法に反対していた同い年の子に出会って、今度新しい団体を立ち上げるって聞きました。それがSEALDsでした。同年代の子が社会に対してどう声をあげるかに興味があったんです。
溝井萌子: 祖父母の家が福島なので生活を捨てて逃げざるを得ない人たちのことを身近に感じていました。高校生の時に脱原発デモに1人で行ったんです。ただ制服姿で行くとすごい居心地が悪かった。大学に入ると、SEALDsの前身が特定秘密保護法に反対するデモをしていました。若い人たちが政治に声を上げている姿を初めて間近で見たんです。新しいデモのスタイルが衝撃的だった。こういう声の上げ方もあるんだなって。寂聴さんは私たちの活動を、どういう思いで見てらしたんですか。
<寂聴> みなさん、一生懸命にがんばりましたね。でもね(安倍晋三)首相に負けたでしょ。負けたと言うしかないわね。向こうの案が通っちゃったんだから。私も1人でデモに行きましたけど、本当は初めから負けると思ってたの。それでもやっぱり立ち上がらなきゃいけないのね。負けたけど、反対がこれだけあった、若い女の子ががんばった、私みたいなおばあちゃんまでデモに行った、ということは、歴史に残ります。夏の参院選が山だけど、勝つかどうか分からない。もし負けても、これだけ反対してがんばる人間が出てきたということで、向こうは肌寒い思いをしてるでしょう。完全な負けじゃないのよ。だから希望を持って。今はダメみたいだけども、自分の信念をやってみようと思ったほうが、人生が開けます。
◇
溝井:学校で政治の話をしにくい空気があると思ってたんです。でも実際に話してみると、実は安保法制、気になってたんだ、という反応が返ってくることもある。政治について話しにくい空気を作ってたのって、実は自分自身だったんじゃないかと気づきました。
谷: 私は小中高と「シュタイナー教育」っていう欧州の教育思想をもとにした学校に通いました。政治のことも話しやすい環境だったので、クラスメートと、そういう話もしてました。私とは違う考えの子もいて、時にぶつかったけど、歩み寄ろうかな、みたいな時もあった。考えは違っても、お互いに何でも話せるのが楽しかった。
<寂聴> 話せる、聞いてくれるというのがいいですね。それが人間が人間を信用する一番最初ね。お友達ができるもとだし、恋人ができるもとですよね。
中川: 1960年安保や70年安保のデモって、何か怖い感じがして。もしかして、男の人が多かったからかな。その点、女性は柔軟なところがあって、海外ではビビアン・ウエストウッドとか、世界的に有名な女性デザイナーが、ファッションショーで気候変動とか政治の問題をおしゃれに華やかに訴えている。私も渋谷で買い物してる女の子みたいな感じで、ヒールにミニスカートでデモに行きました。でも疲れたら帰っちゃう。不真面目でしょうか。
<寂聴> 楽しければいいのよ。見てる人が、ああいうのいいな、自分も参加しようかな、と思うのがいいんです。
谷: 私はヒッピーな格好とか、その時の気分、遊び心ですね。今日はカラフルなデモにしよう、っていう時は、服装もカラフルにして行きます。
溝井: 夏のデモは、汗だくになるから、おしゃれのことは考えてなかったけど、今はスカートはいて行こうかな、メイクもばっちりしようかな、みたいな感じです。
谷: 寂聴さんの本を読んだら、生まれ変わっても女になりたい、と書かれていました。女性に生まれてよかった、と思うのは、どういうところですか。
<寂聴> 思いがけず93年も女として生きてきて、こんなに生きると思わなかったけど、後悔はしてないの。生まれ変わっても、女に生まれて小説家になりたい。まだまだ書くことがありますから。来世では男をいっぱいたぶらかして、困らせてやるわ。私の時代は、お嫁に行くときは、処女が第一条件だったんですよ。でも今は処女なんて死語に近いでしょ。そういうこと言うから不良ばあさんって言われるのね。女も、性も自由でいいんです。
溝井: 女性の自由とか自立、解放を考えると、貞操とか伝統、道徳には縛られるべきじゃない。私も寂聴さんと同じ考えです。
寂聴: 百年前、女性の自由のために「青鞜(せいとう)」という運動をした平塚らいてうが、恋愛の自由と言ってます。女性のあるべき理想を掲げて、全国から女性が集まって運動に参加しました。今、あなたたちは、彼女たちが望んだすべてを持っています。百年かかったわね。戦争に負けて、アメリカから女性の自由も参政権ももらった。でも百年前から運動をしてきた人たちの基礎があったから、受け取って活用できたんだと思います。
◇
<寂聴> 3年ぐらい前かしら。若い人たちが何万人も参加するイベントに呼ばれて、何かしゃべらなきゃならなくなってね、「青春は恋と革命だ!」って言ったの。そしたら、うわーっ!って。去年の国会前デモで、「瀬戸内寂聴が『青春は――』って言ってた。俺たちも、それで行こう」って盛り上がったらしいのね。伝えてくれる人がいて、うれしかったわ。
中川: 恋と革命が、どう結びつくんですか。
<寂聴> 私は大杉栄とか伊藤野枝とか管野スガとか、社会運動をして政治に殺された人たちの伝記を書きました。彼らは可哀想です。でも、不幸な人だとは思わない。百年経って、私が小説に書いて、あなたたちが読んでくれる。彼らの命は生きている。彼らは安穏と暮らすこともできたのに、革命をやらずにいられなかった。そういう人たちは、とっても情熱的で、恋愛もたくさんしています。恋も革命も若い情熱と命を注がなきゃ、できないことよね。
溝井: 女性解放運動をずっとやられてきた先人たち、戦争体験者の方。そういう積み重ね、先人の思いを、すごく感じた夏でした。
<寂聴> SEALDsも自由のための運動でしょ。幸せになるということは、人間が自由になることね。民主主義は、自由を獲得して生きることでしょ。そのための運動なのね。
中川: 民主主義って、自分たちが自由にのびのび生きるために払わなきゃいけない代償とか、そういうものじゃないと思う。責任とか義務とか、重たいものでもない。一人ひとりが主権者として政治に応答する能力だと思う。私、デモに行って、そのことに気づきました。
<寂聴> 私は、もうすぐ死にます。年寄りは逆立ちしたって何もできないんですから、もう死んでもいいの。ただ、私が死ぬ前に声を大にして言っておきたいのは、未来は若い人たち、あなたたちのものですよ、ってこと。あなたたちは未来を作らなきゃいけない。だから戦ってください。恋と革命に殉じてください。
一同: はい。
<寂聴> 私が死んだらね、彼岸で迎えてくれる男たちがずらっと並んでるでしょうね。誰に最初に声をかけようかしら。今は、それが悩みね。あなたたちは今を精いっぱい、楽しみなさい。戦争で殺されないように。
溝井: 精いっぱい楽しみます。
中川: 楽しくやりたい。
谷: デモも楽しみのひとつ!
<寂聴> そうよ。元気に楽しみなさい。
出典:朝日デジタル 2月5日
(構成=編集委員・秋山訓子、岡田匠)
【関連する記事】