我孫子市の市民会館の再建問題が沙汰やみになっているが、市民の会ではどうしたこうしたといろいろなtごり組をしているのには頭が下がる。そんな折にあるシニア男性が、「海津さん、野外ステージの取り組みがあるよ、それなら運営コストも維持費も、建設もらくに上がるじゃないですか」と言われた。そういえば、あの小沢征爾も野外コンサートで名をあげていた。名匠はどこでも本当の音楽をきかせられるのだということです。ハコモノをどんなに立派に作っても聴衆のあつい期待がなくては成立しなくなってしまう、こういうことも考えあわせて頂きたい。そんな思いもあって、今回の議会質問に野外ステージの事をもりこみます。
コンサートは満員御礼の盛況で、「シェイド」と呼ばれる屋根付きの客席だけでなく、有名な芝生席も大勢の人で埋まっていました。
タングルウッド音楽祭のオープニングが、どうして「オール・チャイコフスキー」なのか? それは実際のコンサートを聴いてみるとすぐに分かりました。というのは、全ての楽章の切れ目で大拍手が起きたのです。シンフォニーの1楽章が終わる毎に、コンチェルトも1楽章ごとに万雷の拍手、いやそれどころか「ブラス中心の派手なマーチ」であるシンフォニーの第3楽章、ピアニストの華麗なテクニックの聴かせ所の多いコンチェルトの第1楽章が終わったときには総立ちに近い状態になったのです。
これはヨーロッパや日本では、あるいはアメリカでも通常の定期公演などでは完全にマナー違反です。特に交響曲の6番では、最終の終楽章が悲痛なアダージョになっており、直前に野蛮な拍手など聞かされては顰蹙ではないでしょうか?
このタングルウッド音楽祭というのは正統な「音楽の祭典」ではないのです。クラシック音楽に全くなじみのない聴衆にも楽しんでもらおう、そのために高原の非日常的な空間を作り上げ、様々な努力をしてお客を呼び込んでいるのです。
確かにこの音楽祭会場には、洒落た食事のコーナーがあり、ワインを持ち込んでピクニック形式のパーティーと「しゃれ込む」人々がいました。また会場の周辺には豪華な民宿(ベッド・アンド・ブレックファスト)があって、泊まりがけで音楽祭を楽しむこともできるのです。そうしたセッティングを考えると、いかにも音楽好きのファンが集まってくる場所のようにも思えます。ですが、思い思いに楽しんでいる聴衆の多くは「シンフォニーやコンチェルトの途中で拍手してしまう」素人であり、そしてそのような聴衆を前提としているからこその「オール・チャイコフスキー・プログラム」なのでした。
勿論、この演目の日が初日であったことも大きな要素で、とりわけスポンサー筋の「お付き合い」や「音楽よりワインと社交」という人が多かったと思われます。音楽祭が進むにつれて、ストラビンスキーとかマーラーなど、もっと本格的なプログラムも用意されており、そうした演目の日にはまた違った種類の聴衆が集まるのだと思います。ですが、この初日に限って言えば、聴衆全体として「クラシックのコンサートに慣れていない」度合いは相当なものでした。
そうであっても、プロ演奏家集団だからこそ音楽には一切手を抜かない、そこに音楽を愛し、その愛する音楽を本気で大勢の人々に紹介してゆこうという「真の啓蒙家」としての小澤スピリットが根付いています。1楽章が終わったところで、スタンディングオベーションをしてしまう人をバカにするのは簡単です。ですが、そうした人々を招き入れ、ホンモノの音楽を聴かせ、長い時間をかけて音楽ファンを育ててゆくという姿勢は、だれにでも持てるものではないと思います。野外で音楽を聴く、それはそれで音を楽しめる音楽会です。
手賀沼の月の宵に、音楽ステージで聞くことがあったら、千客万来じゃないでしょうか。規制だらけでの中で、知恵をしぼり、やりぬけばこの街の評価はきっと浮上します。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=7aB2LWowrLs
2015年12月22日
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