千秋楽で、NHK総合の相撲の生中継(午後5〜6時)が平均視聴率24・0%を記録したことが25日、ビデオリサーチの調べで分かりました。瞬間最高視聴率は午後5時27分の29・2%。琴奨菊が祝福されながら花道を引き揚げる場面でした。
新大関の11年26場所目での初優勝は、昭和以降の相撲歴史上、最も遅い初優勝です。昇進場所当初は9連勝をあげるなど、大きな期待をよせましたが、12年の秋場所では左膝じん帯損傷し、13年九州場所でも右大胸筋断裂など大ケガが相次ぎ、ライバルである稀勢の里が注目されはじめ、ファンの気持ちも離れていきます。
転機は名古屋場所でおきます。昨年7月、5度目のカド番で迎えた12日目で5勝7敗。度重なるケガで稽古もままならず、思うように結果が出ない日々が続いていました。そのころ大関・琴奨菊は「相撲をやめよう」と一度は引退を考えていたと話します。しかし、そんな苦境でも踏ん張れたのは祐未夫人の存在があったのでした。「今は孤独な闘いじゃない。一緒に闘ってくれる人がいる!」新妻は食事にけがのない体つくりにと協力してくれて、悲しい思いをさせたくないその一心で大関・琴奨菊は、勝ちに徹する相撲に専念します。
7勝7敗の千秋楽、琴奨菊は新大関の照ノ富士に勝ち大関残留を決めると、体幹と下半身のトレーニングに、メンタルトレーニングも加え、祐未夫人の栄養バランスの考え抜かれた食事に支えられました。そして、26場所での悲願の初優勝を勝ち取ります。今月30日の自信の誕生日と二人三脚でともに歩んだ祐未夫人との結婚披露宴へ最高の花を添えることになりました。
「15日間、自分の相撲を取り切れば結果が出ることが分かった。また優勝を目指して、一つ上の地位もある。頑張りたい。」どんなときも支えてくれる最愛、最強、才色兼備といわれるパートナー裕未夫人、松戸にある佐渡ケ嶽部屋の稽古場が久々に取材で活気づく。こうでなくちゃ!
ところで、佐渡ヶ嶽部屋には琴欧州も所属する、優勝パレードには市議会から特別予算がつくのだとか松戸の市議が話していた。松戸では街を歩いていたり、駅などで力士に出会うこともしばしばです。
そういう海津にいなは相撲ファン。子供のころから、相撲好きの父と一緒になんだかテレビで見ていたから。部活で卓球部にはいったのも、父と旅館で卓球をやったのが楽しかったからかもしれない。テニスも好きだったけれど、むかしは近所にテニスコートがなかった。これだけでも親の影響は計り知れないのだなあと・・・。
相撲は日本の国技、やはり日本の力士が盛り上げていってくれるとうれしいものだ。まして奥さんがこんな風に、勝敗のキーパースンになっていると力士が臆面なく明す時代になっているのもうれしいものだ。兎に角、益々ガンバッテ欲しい。今年、錦織、羽生だけではなく相撲も楽しみですね。
もう少し、相撲を語ると松戸の相撲部屋には、ブルガリア人大関の琴欧洲がいた。なんとなく、松戸であるし、白人力士として頑張っていたし、2メートルを超える大きな体をしているのに目が優しいから、ファンだった。大相撲入門に至った理由の一つは、交通事故にあって働けなくなった父の代わりに家計を助け、親に仕送りするためだったという。奥さんの実家が佐渡ヶ嶽部屋の近くにあったので、駅で初めて一目ぼれだったとか。奥さんは「付き合った当時はカタコトだったので“これからお見合い行ってきますとメールが入り複雑な気持ちになったが、実際は病院にお見舞いに行く」というエピソードも楽しい。故国ブルガリアでは、対戦相手となる朝青龍の知名度も急速にアップし「アサショーリュー憎し」の声が高まるほどになてっいた。ブルガリアの新聞は連日、琴欧洲の結果とともに朝青龍の取組も紹介。また、実家のあるジュルニツァ村の村長ヤンコ・コレフ・ヤンコフが「アサショーリューは威張ったやつだ。顔も見たくない!」と話すと、一緒にいた何人かの村民も頷いた。ついに、2009年7月28日にはブルガリアの知名度や文化を日本で広めた点が評価されブルガリアで最高位の勲章「スタラ・プラニナ章」(Стара планина、日本の国民栄誉賞に相当)を首都ソフィアの大統領府で授与された。
お蔭様で、海津にいなにも頼もしいパートナーがいました。(買い物、料理、掃除、洗濯、送迎。できる男はこんなに何でもできちゃうのだと、少々焦るくらい。もっとも、忙しい子育ての時期には、してなかったな〜。)もうこのところ、論文がはかどらないと布団の上で寝ない日が続き、心配して家事をしてくれてます。
ここまできたら、皆の為になるような、本当にいい博論に仕上がるよう、ラストスパート、頑張ろうっと。
2016年01月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック