《事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。》フリードリヒ・ニーチェ
つまり、自分の周りでは、面白いことが起きない。どうすれば人生は面白くなるんだろう?とおもっても、面白くない「現実」があるのではなく、面白くない「視点」があるだけ。
吉本芸人として、名を馳せる千原ジュニアさんが来てくれた際、こんなやりとりがあったそう。
「いまといえばいま、さっきと言えばさっき、これからと言えばこれから。つまり俺は24時間お笑いのことを考えています」
「お笑い芸人の周りだけで面白いことが起きているはずなんかない。でも、人におもろい話をするって決めて生きてる。だから、面白いものが引っかかるんや」
面白いことが起きる人は、日常の中で、面白いことに視点を当てています。
面白いことが起きない人は、面白くないところに視点を当てている。
違いはそれだけなのかもしれない。
あなたはこの世界でなにを体験したいのか?
なにを見たいのか?なにを大事にして生きたいのか?
なにがあなたのしあわせなのか?
そこを明確にする。
妻が妊娠したとき、「街のなかって、案外、妊婦さん、歩いてるんだね」
妊婦さんはもとから歩いていても、そこに意識がいっていないから、自分が妊娠するまでは、文字通り見えなかっただけ。 意識が変わった途端、見える「現実」が変わり始めます。
だから、あなたの意識が変わったら、1秒で世界が変わります。
外側にあるものが現実として見えるのではない。
自分の心の中にあるものが見える。それがこの世界のカラクリです。
中国の古典、「大学」の中に「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」
(こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、くらえどもそのあじをしらず)
反対に 何かの問題を解決しようと、寝ても覚めてもそのことを思い続けていると、いつのまにか、不思議にアイデアがわいてくることがある。セレンディピティーといわれる、無意識にもある意識がそこにあると言われる。
面白いことに焦点をあて、それをいつも見ようとしている人には、面白いことが起きる。
つまらないことや嫌なことばかりに焦点をあて、それを見ている人には、つまらないことや嫌なことばかりが起こる。自分の意識にないものは見えない。
どんなときも、面白いこと、楽しいこと、愉快なことに焦点をあてる人でありたい。
参照
『あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。』ディスカバー
2015年11月30日
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