19日(水)にキャンセル待ちで、県民講座「自分らしい最後の迎え方」に参加した。講師は、生涯医療ネットワーク代表の谷口義則さん。レジメ二枚の他、希望者にとパンフレットを有料配布したが、希望者にゆきわたらずに売り切れとなるほどの関心の高さだったのに改めて驚いた。このようなタイトルでの講演会は、どれほどの人が参加するのかとの興味だったが、予想をはるかに上回った。
誰しも少なくとも一回の死の経験を避けることはできないのだが、その時に直面するまで前もって習うことは滅多にないと講師・谷口さんは言う。こうした経過を見守るのは、介護保険制度ができるまでは多くは家庭婦人、付添の女性が担ってきた。今は女性が仕事を持つ時代で、核家族化した家庭だけでは支えきれない。
レジメでは、1「終の住処」、2「長生きリスク」となっていた。リバースモーゲージ(住み続けながら土地建物を担保に資金を得て、介護費用にあてる)などの話が出た。今どきは、「老人破綻」「下流老人」、また子供が親の年金をあてにする自立できずに同居して障害事件も起きている。オイルショックならぬ「老いるショック」があり、長生きリスクの事情も起きていると指摘された。世界最高のご長寿国だが、話を聞き始めて5分で、もろ手を挙げて喜べなくなってきた。
3「終末医療(延命治療)について」は、質問の傾向からもっとも関心が多かったように思う。欧米には安楽死のできる国(ベネルクス3国、スイス等)や地域(オレゴン州等)もあるが、日本の場合は安楽死の法制化はしない。尊厳死については日本尊厳死協会が設立して相談を受け入れる。欧米とは逆に延命治療法があり、寝たきりの期間が長くなっている。北欧、欧米の老人施設に寝たきりがみられないとされるが、宗教間の違いからか、自ら食べられなくなった際にチューブでの胃ろうなどの医療処置はしていない。国税の支出に医療介護費の支出割合が半分近くに迫るほど多くなり、この先保険の負担割合が変わり、かつ定年後の余命が延びると老齢による破綻がないように資産の処分を含め考える必要がある。引き取り手のない独居者のご遺体が増えた事情もあり、医学授業での献体は不要な事情も、近年の変化だと話がされた。
さらに、米国では医療費が工面できないとか、既に問題化しているが、日本であっても保証人が居ないから入院できないのとか、根本の問題もクリアできない方も増える。ご長寿社会はかなり女性に関わる問題が多い。しかも、女性が市議になること自体が難しいことや、女性幹部職員が少ないことも、うらはらな現実として考えさせられる。そして、選挙への関心が毎回遠のくのを投票率が示しているのは、大入り満員の講座と比べて神妙だ。
さて、最後に、意外に知らない臨終の兆候、苦痛に対する緩和ケアについて、キュープラ・ロス『死ぬ瞬間』(5段階を経て亡くなる、との見解を明かした研究者だが、ご本人も死に際しては苦しんで暴れ、弟子たちも去ったとの逸話)の紹介もされた。他に、山崎章郎『病院で死ぬということ』 (これが“日本社会で死ぬということ”なのか!? という山崎医師の痛切な反省が日本にホスピスの理念をもたらしたとされる)
それは、死の3ヶ月から1ヶ月前に始まるという。
一日中ベッドの上で過ごし、起きているよりも眠っている時間の方が長くなっていくのが通常のパターン。目を開け続けることができにくくなるようです。しかし、ただ眠っているようにしかみえないこの状態でも、周囲の人々にはわからない奥深いところで、とても重要な作業が行われていることを知ることが重要。
現在、二人に一人が癌にかかるといわれ、緩和ケアを受けられる病院を知っておくことはできる。日本人の90%が病院で死ぬ。年間24万人がガンによる死である。なのに、末期医療のなんと粗末なことか。死にゆく人は、自分の人生に意味があったのだと知りたいと思うのです。自分の人生を意味のないことのために無駄に費やしはしなかった、ということを知りたいのです。ホスピスはそういう場をつくろうとするが、ホスピスに入れる人は限られた人数であることも現実そのための告知はどうするべきか(病名告知、病状告知、余命告知)。そして、人は三度死ぬ:社会死(IADL、ロコモ)、生活死(ADL)、生物死(心臓停止)など・・・・
実際に死にゆく過程は、死の2週間まえに起きることが多い。
1週間前に食べられなくなる。亡くなる前になぜ食べられなくなるかというと、水分を体内で処理できなくなるからだそうです。 食生活は徐々に変化していく。何を食べても美味しくなくなったり、また、食欲もあったりなかったりとなる。また、固形物よりも液状のものを好むように変化する。「何も食べる気がしない」と言うようになる。始めは肉類、野菜、そして飲み込みにくいもの、最後は柔らかいものさえ食べられなくなっていく。 そしてその3日後位から呼吸が荒くなり肩で息をするようなるそうです。
「明日がヤマになる」 そう告げられてから2日位、呼吸の変化も起こる。血液中の酸素の量が減ることにより、じっとしていられない状態がさらに強くなることがある。呼吸は1分間に16回から20回が普通だが、1分間に40回から50回にまで増えたり、反対に1分間に9回から6回までに減ったりする。次の呼吸が始まるまで10秒から15秒、場合によっては30秒から45秒もかかることがある。 呼吸のリズムが遅くなったり、不規則になったりする。呼吸が弱まって,あえぐように口を開き、荒い息を吐く。
タンがさらに増えることにより、のど元でゴロゴロと大きな音がすることがある。右下や左下にからだの位置を変えることに影響がある。ゴロゴロという音は、出たり消えたりする。身の置き場がないようにジタバタすることも見受ける。
その他の変化として、爪、手、足は青ざめたり、青白くなる。心臓が血液をこれまでどおりに循環させることができなくなったためだ。尿は全く出なくなったら,24時間以上もつのは難しいと考えます。(絶対ではないですがかなりの指標)心電図波形が変わる。幅の広いQRSになり徐脈になる。あるいは、急に180台前後の頻拍になると、いつストンと徐脈になって心静止となるなども起きる。ただカテコラミン類が投与されていると徐脈になってからも心静止までは時間があると考えられる。その他いろんなケースがありますが波形はかなりの指標なので、必ず変わっていく。その後、脱水状態となり、徐々に眠る時間が増えて、最後を迎えられるそうです。瞳孔散大もひとつの指標だが、他の情報照らし合わせての参考になる。肛門が開いた場合、これもあと数時間と考えられます。
眠れない方もいて、その場合は合意のもとで、眠くなる、鎮静剤を使用。これなども簡単には死ねないんだと痛感させられる時間です。ここを乗り越えれば多くの場合、最後は、穏やかな時間が待っている。余命数時間になると、必要な患者さんに鎮静を使わなくても自然に、意識は無く、昏睡状態に移行。この状態の時は、御当人にはほとんど苦痛は無いそうで、仮に苦痛が有れば身体を動かしたり、さすったりします。一般的には、苦痛を自覚する感覚は自然に失われ、眠っているような状態で苦痛を回避していると思われる。まもなく、呼吸が止まったように見えた。口は半開きのまま、動かない。静かに手をかざして、両の瞼を閉じた。「ありがとう」との合掌となる経過だとのこと。
2015年11月22日
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