2015年09月04日

「積極的平和主義」の提唱者、Johan Galtungが忠告

 「積極的平和主義」という言葉の生みの親はヨハン・ガルトゥング博士だ。 新たな安全保障法制の成立をめざす安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」。しかし、この言葉を提唱したノルウェーの平和学者・ガルトゥング博士が定義する意味とは相当異なる。博士は8月に来日し、「本当の平和とは何かを語り、安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」と断言する。つまり、安倍総理は「積極的平和主義」という”言葉を勝手な解釈変更”していたとの指摘する。博士は、日本は「問題点もあるが憲法9条を守っていく」「憲法9条が当たり前の世の中にしよう」「軍隊は持たず、外国の攻撃に備えることもない」「そして核兵器は持たない」と主張する、憲法の9条が守られるよう願ってやまないと、来日して語った。



 博士は、ノルウェーのオスロに生まれ、1956年に数学で、1957年に社会学で博士号。1959年オスロの平和研究所設立、所長を務める(〜1969)世界的な平和学者。1964年『Journal of Peace Research』を発刊、1974年まで編集委員長。平和学の創生期に重要な理論活動を行った。アメリカのコロンビア大学講師・准教授(1957〜1960)、オスロ大学教授(1969〜1977)、国連大学コーディネーター(1977〜1981)、フランスのヌーベル・トランスナショナル大学学長(1984〜1995)、ハワイ大学特別教授(1987〜1995)、ノルウェーのトロムソ大学教授(1995〜1999)、立命館大学教授(1997〜1999)。国連の専門機関のコンサルタントも多数務める。1993年よりNGO「トランセンドTRANSCEND」を主宰。著書・論文多数。

 戦争の不在としての「消極的平和」に対して、幸福や福祉や繁栄が保障されているという意味での平和を「積極的平和」とよんで区別した。これに対応して、平和の対立概念である暴力についても、戦争・殺人などの直接的暴力に対して、抑圧や搾取が行われている状態である構造的暴力という概念を提出し、その両者が克服されなければならないとした。構造的暴力という考え方は、平和学の対象を開発途上国が直面する困難という問題にまで広げることとなり、平和学の理論の発展に貢献。夫人が日本人ということもあり、日本への深い関心と歴史、文化への造詣を持って、今後の歩みについて注視してきたのだ。現実的な「武力に頼らない」日本の平和構築手段とは、いかなるものなのか。尖閣問題はどう処理し、米国と友好的な関係を築きながら米国の従属から脱するには、何を「実行」すれば良いのか、各地でその対処、現実との対峙について語った。9条があるから、専守防衛できないのではなくて、それを手中にした内閣(防衛省)の意識に揺らぎがあり、変えるから問題なのだ。

 平和学を打ち立て、該博な知識を有する、対象を一面的にとらえるのでなく歴史的にも地理的にも非常に多面的に考察し、せめぎ合いの向こうにそれらを超越する新しい解決方法の地平を展望する。平和学者として国際問題の紛争解決について助言・提案を行うなかで、紛争当事者との対話・議論の経験から、紛争解決ではなく、紛争転換のためのトランセンド(超越)法を編み出した。トランセンド法とは平和創造の主体形成のための方法であり、対話と創造性に基づき、紛争を非暴力的に転換していこうとする実践・訓練・研究のことである。彼が1990年代以降主宰している「トランセンド」というNGOでは、実際に紛争を調停する役割を担う人々のトレーニングを行うための各種プログラムが企画・立案されている。また、実践的にも国際紛争の診断・治療・予後といった枠組みで国際問題の解決にも貢献しようとしている。2003年からトランセンド平和大学が開校(オンライン)。

 最近は中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領が北京で会談し、プーチン大統領は、習主席が抗日戦争勝利の記念式典で述べた平和のメッセージを称賛するとしたうえで、中国との全面的な戦略的パートナー関係を深化させていくと強調した。中露の緊密な関係をアピールした習主席は、国連の潘基文事務総長とも会談し、潘氏は軍事パレードなどの記念式典について「非常に素晴らしかった」と感想を述べ、「平和を守りたいという中国人の願いを十分に表している」と評価したというのだ。「積極的平和主義」の本来の意図と世界の現状がどんどん、乖離していくとガルトゥング博士は感じていることだろう。

 他方、河野洋平元衆議院議長が、このところの政府の安保関連法案に対し、憲法学者をはじめとして多くの人から「違憲」という疑念が寄せられて、法案が違憲か合憲か決着がついていないと発言していた。首相がいくら「合憲だ」と言っても、それは提案者の首相が言う「合憲」の考えであって、本筋ではないという指摘だ。大多数の憲法学者が「違憲だ」と言うからには、その疑問を晴らす責任があるはずという。

 河野氏の政治経験から言うと、「違憲か、合憲か」という議論は今まで何度かあった。そのときは内閣法制局長官を国会に呼び、「合憲の範囲」を把握していたが、今回の安全保障法案の議論が始まる前、首相が自分と同じことを言う人を連れてきて法制局長官にしてしまった。極めて恣意的な人事をした。それが証拠に、歴代の法制局長官は異口同音「違憲だ」との指摘がでた。これで国民は納得するかといえば無理だ。現内閣法制局長官が、時代が変わった「合憲でございます」と言っても「合憲」とはならない。

 もちろん、こうしたことを周辺事情も整理し、合憲だと国民の多くが納得し、その上で安保法制をつくるなら、プロセスとしてありえる「合憲」「改憲」への道だ。しかし、今、法案は合憲なんだという大前提のコンセンサスがなかったら、ここは一度法案を引っ込め、まずは違憲か合憲かをはっきりさせなければならないと河野氏は強調される。

 現行憲法の枠内で日本の安全保障政策をつくり、組み立てるのが第一義的な問題ではなくて、真っ当な政治になるのか。安倍首相は世界中を駆け回って「日本は積極的平和主義なんだ」、だから「武装した自衛隊を手伝いに行かせますよ」と言う。安倍首相は積極的平和主義なのか。

 日本の平和主義の象徴は非核三原則や武器輸出三原則、平和主義の真意だ。その元締が憲法9条ということだ。核兵器をつくる技術、武器だって売ればどんどんもうかる。だけどそういうビジネスはしない、それが日本の平和主義のブランドを作ってきた。そのブランドをなぜ脱ぐのか。「日本の安全に良いという主張はまったく理解できない。安倍氏のいう積極的平和主義で、あっという間に武器輸出も大幅に緩和された。」と断罪した。武器輸出についてはもう日本は「普通の国」になったということになる。日本は、これまでの平和な国だというブランドを捨てるべきでないという、国会前デモに行く人たちは11日へ向けていくことになる。

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ガルトゥング博士と安倍晋三首相の意図する積極的平和主義は「似て非なる」ばかりでなく 真逆でしょう。博士は憤慨されているでしょう
Posted by toyota at 2015年09月09日 09:07
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