「皆様へ 今日(2日)渋谷で高校生デモがありました。2000〜3000人集まったようです。」とメールで
上記のURLを知らせてくれた人がいた。制服の高校生たちは「ノーパッサラン」と叫んでいる。その言葉の意味を検索してみると、次のような事だった。
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1930年代、スペインで(というよりヨーロッパで)ファシストの勢力が強くなって来た頃、スペインは左翼系の共和国でしたが、フランコ将軍は政府の政策に反対し1936年スペイン領モロッコで反乱を起こしました。共和国軍は世界から義勇軍を受け入れフランコに対抗しましたが、ドイツがフランコを支援したこともあり、1937年3月共和国政府は崩壊しました。”No pasaran (ファシストは絶対認めない、許さない、通さない等の意、英語ならThe fascists shall not pass)この言葉は内戦最中の36年7月に、Dolores Ibarruri(女性政治家)がラジオ演説の締めくくりの言葉。
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このところ、特に女子学生が頑張っているのが目につく。最近の国会前デモ、若い世代のデモはラップのリズムに合わせて軽快だ。
「民主主義って何だ!」
「民主主義ってこれだ!」
英語が、何度も滑らかにコールされることもある。
”Tell me what democracy looks like!”
”This is what democracy looks like!”
31日、学生と学者たちが、安保法制について抗議の声をあげた。柳宗悦研究でお世話になっている女性教授から、メールで集会に参加するよう促すメールを頂いたこともあって、ご近所の女性と出かけた。
そこでは、高校生も国民に初のアピールをするとの告知もされた。


特定秘密保護法の審議のころより、学生たちの中から、自然に声が上がり出していた。
それを辿れば、3.11のころより、祝島で原発建設に疑問を持つ若者が動き出して、経産省前でステージをつくり、スピーチして、それはいろいろな団体、グループが引き継いで穏やかに続いてきた。
行動することで、非難されることがあるけれど、諦めない。言いたいことを主張する!
女子学生が「NO!」と言わなくてはならない事はNo!と主張すると言っている。
暑い暑いこの夏、40年前自分は何をしていか、思い返すと熱くなって、私も国会デモへ行ったという訳だ。
デモの流れの中で隣り合わせた女性は、勤め帰りだといっていた。
「民主主義ってなんだ」、「君たちはブロイラーのようになるな」「太った豚になるな」などと私たちを煽った先生たちがいた。自分で考えなさいと言った担任の実家は牧師だった、倫理社会の先生の顔なども思い出した。
学園紛争で教員室封鎖、ハンガーストライキ、我が高校の門前ではアジびら配りの姿がよくあった。
そして、夏が過ぎると、制服廃止になっていたが、だれも何も言わなくなった。受験だ、就職だという言葉がよぎったのかもしれない。三無主義と言われる世代は、でもずーっと考えさせられた。そして、気づけば、終身雇用も、結婚という永久就職の保証もない時代になっていた。
今、制服の高校生まで動員(あの頃も大学の先輩たちが、頻繁に出入りしていたように)するようになって、何かが変化しかかっている。大正の大人(有権者)がモノを言わなくなり、そして、これまであまりモノ言わなかった女性がこれをどう受け止めるか、聞いてみたい。出しゃばらない、言わない事が処世術でいて「亭主元気で外がいい」とうそぶいていたけれど、夫たち以上に長生きするのが女性だから、社会が果たして負担できるかどうか、モノ言わないまま決めてもらので、文句を言わないというのだろうか。十代は、二十代は声を上げ始めた。多数じゃない、皆がやっていないから、というので大丈夫なのか・・・。
こうしたデモは、ほとんど報道されることがない。最近は、それでも誰かがYOUTUBEにアップする。それをツイッターやメールで転送がされてくる。かつて、高校生が勉強以外考えなくていいとか、デモに行くことは良くないと戒められていたけれど、すでに日本以外ではとうにそのくらいのことは自己責任で行動し、18歳になる責任をもって、考えたいのだ。
そして、百年前には花の都パリなどと言われたフランスなどは、デモが多発するため、公共交通が遅れるのが常習だとか、機能劣化の様子を漏れ聞いた。たばこも税金をかけて拾うなどしないから、街角に散乱している。
はっきりしているは、美しい日本の行方をつくるのは、今を生きる私たちでしかない。