そこで楽しく生きてる人は、自分で楽しくしている。おもしろそうに生きている人は、自分で人生をおもしろくしている。今おおはやりの芸人さんたちは、決して他人につまらなくさせられたり、暗くさせられている、などということはない。
更に言えることは「おもしろいことって、待ってるだけじゃ、まず起きない」のだという。それなら自ら行動を起こす人であり続けたい。そういう点で、「先生」と言われる人がいる。「先に生きる、先にやってみる」のが「先生」と呼ばれるから、なにを先にやるかを考えるようになる。ともかく、やればいいのだとも言われる。悪いこと以外は、やってみないと分からない、はじまらない。
「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め」(言志四録)
暗い夜道を一つの提灯を持って進む。だが、暗い夜道(自分の置かれている厳しい状況)を不安に思ったり、嘆き悲しんではいけない。
自分の持っている提灯(夢や志や可能性)を信じて、一歩を踏み出し、ただひたすら前に進め。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」(清沢哲夫)
「独創」とは、人の説を語るのでなく、独自のものを生み出すこと。
先が見えないときは、とにかく一歩を踏み出すしかない。 己の道を迷わずに、ただひたすら前に進む、迷わず進み出してみれば、結果として魅力があるものがくっついてくるという。
海津にいなは、協調性はあるから多少のお上手は言うが、群れるのもうまくないし、媚びるのは好きじゃない。ということになってくると、おのずと選択肢って狭ばまる、一人でやるっきゃなくなる。政治は数と力をみせつける現場であって、政党の関係は一強多弱の現在にあって、我孫子もこれと同じなのかどうなのか。独創的な市民の力を発揮させることが可能なのか、どうか、ともかく一歩踏み出してみる、応援してください!