2015年07月13日

「違憲」学者より最高裁の「1972年時点の合憲判断」が重要だと菅氏指摘!

菅義偉官房長官は7月9日の記者会見で、集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案をめぐり憲法学者件から「違憲」との指摘が相次いでいることに不快感を示した。「意見が多数派か少数派かであるかは重要ではない」と述べた。

 同時に「合憲か違憲かを判断するのは憲法で違憲立法審査権を与えられている最高裁だ」と指摘。「安保法案は1972年の政府見解の基本的論理に基づいたもので、現憲法の論理の枠内に収まっていると自信を持っている」と強調した。

出典 :2015/07/09【共同通信】
参照:「TV報道ステーション」による憲法判例百選の執筆者198人にアンケート調査で、151人返信があった。 (調査期間6月6日〜12日 他界した人や辞退した人などを除き、アンケート票を送付)
下記(末尾)より、自身の見解を実名で公開してもいいとされた方々のお名前をクリックすると、解説内容もご覧になれます。
憲法学者に聞いた〜安保法制に関するアンケート調査の最終結果

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法律学の世界では憲法、特に第9条を巡る研究や論争が、実際に起きている紛争をいかに裁くか、権利のぶつかり合いをいかに解決するかといった現実を対象にしたものになっていません。そのため、条文の教条的な解釈の中で研究者の主観的な思いや自制が優先してしまっているとか、現実的ではないとの声も出始めている。

例えば民法、会社法、税法といった法律に関する法律学の研究は、現実に発生した争いを裁く上で、法律の条文の解釈は如何にあるべきかというアプローチが中心になっていると言えます。

ところが、憲法第81条(「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」)が規定するように、有権的な憲法解釈を行なう権限を有するのは最高裁判所であるにも拘らず、特に最近は、最高裁が判決の中で憲法解釈を行なった事例が非常に少ないのです。

実際、平成元年から先月末までの27年半の間の最高裁の判例は3023件ありますが、このうち判決中で憲法を参照しているのは330件(全体の10.9%)、更にそのうち憲法第9条を参照したものはわずか2件(全体の0.07%)しかありません(最高裁判例集)。

高裁から最高裁に上告できるのは、憲法解釈に絡む案件、高裁以下の判決が最高裁判例に反している案件などに限られるとはいえ、最高裁の判決で憲法解釈を行なっている事例は非常に少ないのです。

ちなみに、憲法の条文が最高裁判決で参照された案件を時系列でみると、憲法制定当初の昭和20年代には8年間で792件もありました。昭和50年代も563件と多かったのですが、平成に入ると大きく減少していることが分かります。 判例、つまり現実の争いごとを法律に従って解決する上で憲法が使われた事例は、平成に入ってからは本当に少なくなっていると言えます。

特に憲法第9条は、実際の裁判例ではほとんど使われていないと言っても過言ではありません。従って、法律学の世界での憲法第9条を巡る論争は現実を対象としたものではなくなり、唱えた学説が現実の紛争解決の上で役に立つものか否かという面から検証されることも少なってしまっているのではないでしょうか。だからこそ、憲法第9条を対象にした研究や論文も少ないのだと思います。加えて言えば、憲法の研究においては、しばしば諸外国との比較が重要性を持ちますが、第9条は日本独自のものなので、諸外国の憲法の国防規定との比較研究の対象にもなりにくいという問題もあります。

ちなみに、自衛隊が創設から60年を経過し、その間に災害救助などで実績をあげ、国民からはかなり信頼される存在になって自衛隊が国民に受け入れられているのか、という点について研究した憲法学者もほぼ皆無です。

ところで、こうした現実の下で、国会で安保関連法案を違憲と断じた憲法学者も、実は第9条の解釈には幅を持たせており、条文の字義どおりの解釈よりは柔軟な対応を許容している点には留意すべきだと思います。

例えば、長谷部恭男・早稲田大学教授は「憲法第6版」(2014年)において、「憲法9条の定める理想は理想として尊重するが、現実には、その時々の情勢判断によって、保持する軍備の水準、同盟を組む相手国等を、それらが全体として日本を危険にするか安全にするか、安全にするとしてもいかなるコストにおいてかなどを勘案しながら決定していくしかない」と述べています。

また、小林節・慶應義塾大学名誉教授は「憲法守って国滅ぶ」(1992年)において、「憲法は、本来的に、解釈の変更による柔軟な運用が期待されている。…したがって、9条の基本精神である『侵略せず』を害してはいけないが、その範囲内であれば、ある意味では何でもできるわけである」と主張しています。ちなみに、小林名誉教授は2013年には、このダイヤモンド・オンラインのインタビューの中で(2013年7月26日)、「日本は集団的自衛権を持っていると解釈を変更するべきでしょう」とも述べていました。このように、憲法学者自身も“はみ出し”の範囲については揺れているのです。

既に述べたように、最高裁での憲法解釈が非常に少ない中で、法律学の世界での憲法解釈は現実への適応という要素が薄くなっています。北東アジアをはじめとする国際的な安全保障情勢は大きく変化し、その中で国際社会が日本に期待する役割も“世界の平和に貢献する国”へと変化しています。

即ち、安倍政権が国会に提出している安保関連法案は、第9条の解釈で自分たちが許容する字義どおりの解釈からの“はみ出し”の範囲をどう整理するかの考えがみられます。一方で、多くの憲法学者が、現時点での「違憲」と判断したというのは重く受け止めねばなりません。

そうした安全保障環境の変化という現実を踏まえつつも、「違憲」と断じた専門家が多いこと、果たして第9条の字義どおりの解釈からの“はみ出し”はどこまで許容されるべきかについて参考としつつ、憲法上主権者と明示されている国民自らが主体的に考えることが必要であり、国会の数の論理では推し進めてほしくない。まして、戦前は国民の半分である女性を参政権から排除していたのも旧憲法だった。

敗戦を経験し、二度と戦争には関わらないでとの遺言とも言える「平和の国」の憲法が残された。21世紀の主権者である戦争を知らない世代の国民に、18歳の新たな有権者も加わる時でもあるから、よくよく未来にむけて憲法の”はみ出し”がどこまで許されるか目を光らせねばならない。それでは、家族、母、姉妹を思って命を捧げて戦場に逝った男たち、まだ帰ってこない幾柱もの屍が犬死となるからだ。


参照:
岸 博幸(一橋大学経済学部86年卒。通産省、総務(竹中平蔵)大臣秘書官等を経て、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)へのダイヤモンド・オンラインインタヴュー 7月10日

posted by Nina at 00:00| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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