2015年06月29日

安保法案審議は木を見て、森の病理を見過ごすのか  

 いままさに進行している国会での安保法案審議のなかで、自衛官のリスクが増大する可能性を野党から指摘された際、安倍首相はこうコメントした。

 ――木を見て森を見ない議論が多い。

 もともと正常な言語感覚に欠ける、いやそれ以前に言葉に信の置けない人であることは重々承知しているが、これは特にひどい。

 仮にも人の命が懸かっている(これについても首相は「大げさなんだよ!」とヤジを飛ばしていたが)議論について用いられる比喩ではない。

 しかし考えてみれば、この言葉こそ安倍晋三という人間、あるいは彼が率いる政権与党の本質を如実に表してはいないか。つまり、彼らにとって人ひとりの命(木)など国全体(森)にとってはどうでもいいのである。
 
 『帰還兵はなぜ自殺するのか』(デイヴィッド・フィンケル 著 古屋美登里 訳 亜紀書房)を貫く姿勢はそれとはまったく逆のベクトルを持つ。すなわち木1本1本の病いを徹底的に見つめることで、森全体の病理を鋭くあぶり出している。

 本書はイラクに派兵された5人の兵士とその家族が、帰還後どういう苦難を生きているかを、膨大なインタビューや取材から得た事実を再構成することでリアルに描いたものだ。

 5人の兵士とは正確に言うと、イラクでもっとも戦闘の激しい地域に送られた第一六歩兵連隊第二大隊(隊員の平均年齢20歳!)の同じ中隊に所属した仲間で、そのうち1人はすでに戦死し、残る4人は重い精神的ストレス(PTSD)を負っている。

 妻たちは口々に言う。「戦争に行く前はいい人だったのに、帰還後は別人になっていた」と。

 実際ここに描かれる、自ら志願してイラクに派遣されるまでは気のよかった若者たちは、帰還したのち妄想や幻覚に苦しみ、家中の物を投げつけて妻を殴る。あるいはあらゆる機会を狙って自らの命を絶とうとする。

 いったい戦場の何が、彼らに変貌をもたらしたのか。

 もちろん、帰還兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむのはイラクに始まったわけではなく、この病い自体がベトナム戦争で生まれ名付けられたものだ。しかし、イラクやアフガニスタンでは、ベトナムと根本的に違うことがある。それは明確な前線というものが存在しないことだ。

 「360度のあらゆる場所が戦場だった。進むべき前線もなければ軍服姿の敵もおらず、予想できるパターンもなければ安心できる場所もなかった。兵士の中に頭がおかしくなる者が出たのはそのせいだった」(つまり後方支援もクソもないのである)

 そうして帰還兵の神経を蝕むものはこの恐怖だけではない。

 ここに登場する兵士たちに共通するのは、「もしあの時こうしていれば、同僚のあいつは無惨な死に方をしなくて済んだのではないか」という自責の念(危険があれば後方支援は即退避する、と安倍は言うが、危険な状況で前線に味方を残して立ち去ることが、戦闘の現場においていかに非現実的であるか)と、殺してしまった現地人の記憶……そのなかでもとりわけ悲惨なのは、血でぐっしょり濡れた花柄のワンピースを着ている7、8歳の女の子が、椅子に座ってじっとこちらを見ている夢を夜な夜な見る帰還兵の話だ。

 イラクとアフガニスタンから帰還したアメリカ兵はおよそ200万人。そのうちの20〜30%にあたる人がPTSDや外傷性脳損傷(TBI)を患っているという。だからここに登場する帰還兵の例は決してレアケースではない。

 それに本書で克明に描かれる自殺のケースはふたつだけだが、アメリカでは毎年240人以上の帰還兵が自殺を遂げ、その数字は年を経るにしたがって増え続けている。

 日本でもつい最近、安保法制の衆院特別委員会で、イラクに派遣された自衛隊員のうち54人が自殺したという衝撃的な事実が防衛省からもたらされた。

 自衛隊の定員は25万人(うち常時2〜3万人が不足している)でイラク・アフガンに派遣されたのは延べ2万2560人。もちろんアメリカと比べたら規模が違うが、単純計算で418人に1人、自衛官全体と比べて7.1倍、国民平均の11.9倍にあたる自殺率はきわめて高い。

 もとよりアメリカという国には「戦後」という観念がない。なにせ建国以来41回(5年に1回)、第二次大戦以後に限っても19回(3年に1回)も戦争をしている国である。つまり常時戦時体制にあるのだ。

 その国の軍隊と一体になって自衛隊が働く、というのが今回の安保法案の骨子である。軍隊そのものも、それを抱える社会の質も、日本とアメリカとは雲泥の差がある。その差をいったいどう埋めようというのだろう。

 著者がつまびらかにした木の病理は帰還兵だけにとどまらない。

 たとえば夫がいつ自分の首を絞めに来るかもしれないと、枕の下にそっと拳銃を隠してベッドに入る妻。怒声と暴力に脅え、父親から切り離されて妻の実家に預けられる子供たち。けっして少なくはないそのような「病んだ木」を擁する森とは、いったいどんなだろう。

 あるいはカウンセリングやセラピーなど、戦争からの快復という悲しい仕事さえも、巨大な産業へと変貌させてしまう「死の商人」が跋扈する森とは、いったいどんなだろう。

 そんな森(=社会)をひたすら冀(こいねが)い、嬉々として目指そうとしているのが現政権である。

 本書の原題は「THANK YOU FOR YOUR SERVICE」である。「(母国のための)ご奉仕に感謝いたします」。

 このフレーズは本書の至るところに響いている。それは、傷ついた帰還兵が出会い系サイトにアプローチした際の、女の子側からのメールの返答であったり、自殺した兵士の葬儀での追悼の言葉であったりする。

 最初はアイロニカルに聞こえるこの言葉も、訳者が「あとがき」で書いているように、次第に著者の悲痛な願いの色を帯びてくる。それがアメリカというものである。

 しかし今の日本において(災害時の救援活動を除き)、もし仮に集団的自衛権の行使によって戦場で死傷し、あるいは帰還後に自殺した自衛官がいたとしたら、彼らに向けて口が裂けてもこんなセリフは言えはしまい。

 それほど差のあるアメリカと日本の社会だが、本書のなかでひとつ、実にリアリティを伴って想像できる箇所があった。それは兵士を癒す仕事に取り憑かれた陸軍副参謀長が、戦争を正式に認めたり、軍事費を計上する立場にある政府の要人を招いて晩餐会を催したときのこと。晩餐会にはテーマを用意するのが常であり、かねてよりペンタゴンで自殺防止会議を主宰していた副参謀長は、その晩餐会のテーマを迷わず「自殺防止」とすることにした。ところがそれを伝え、ディナーのメニューも決まった直後に、出席を予定していた政治家たちから次々に出席を見送るという報せを受けた。曰く、他の行事と重なったから、云々。結局、晩餐会は中止せざるを得なかった。

 たとえばわが国において同じ状況が生まれたとして、同じようにしれっと言い訳をして出席を見送る政治家は、その顔までがありありと思い浮かぶ。すなわち、どの時代でもどこの国でも、戦争を起こしたい人々、あるいは戦争をして得をする人々のうちのほとんどは、現実に起こる生死についての面倒ごとには、進んで関わりたくはないのである。


出典:
大槻慎二 書評
 (WEBRONZA 6/12)

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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