秋水は明治時代の社会主義者でアナキスト、「大逆事件」で刑死した人物。
研究者ではない市井の人がそれだけを聞くと――思想家としての彼の業績は当然認めるとして――「危険な人」との印象を免れないかもしれません。高校の日本史の授業で「大逆事件」を習い、幸徳の名前のみ知る段階では、そうした印象を持つものだ。
しかし、社会人の一教養として中江兆民を読むことから始め、「兆民を師と仰いだ幸徳」として『帝国主義』(岩波文庫)を読むと、いわゆる「危険な」印象とは大きく異なる人物像が浮かぶ。生意気ながら、「至極まっとうなことを主張する人だ」という感じを受けた。
しかし、「至極まっとうなこと」を言う人ほど、世の中では危険視されるのだということも、見えてくる気がした。
幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義』(山田博雄 訳、光文社古典新訳文庫)によると、
「世の『志士』『愛国者』はみな、髪をさかだて、目をカッと見ひらいている。こういう時に、ひとり冷然として真理と正義を講じ、道徳を説くのは、いかにも現実離れしていると嘲笑されるだろう。わたしもそれは知っている。にもかかわらず、あえてこれを行うのは、実に長い間、この真理、正義、道徳にかんして心を痛めてきたからであり、やむにやまれぬ気持ちだからである」(「三つの前置き」)。
「嘲笑される」と知りながら、あえて『二十世紀の怪物』を書いたのは、おそらく幸徳が「真理、正義、道徳」、そして「自由」にも大きな価値を置く人物だったからだろう。「真理、正義、道徳、自由」、これらはみな西洋近代がもたらした価値観・概念だが、日本がもとかはどうでもいい、生きる以上、それらを実現し満喫しなければ意味がない、とでもいいたげな姿勢が、彼の書くものからは感じられる。実に明るく潔く、嫌味がなく風通しのいい、それこそ「自由」を感じさせる文章だ。
幸徳と親友だった堺利彦の知られざる多くの人間的側面に光を当てた黒岩比佐子氏の大著『パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(現在は講談社文庫)に、幸徳と堺、内村鑑三ら「万朝報」の記者たちがみな、当時「ハイカラな自転車」(!)を買い、なんと教習所に通ってまで乗車の練習をし、休日にはサイクリングにうち興じる姿が紹介されている。それは、社会改良を目指す「理想団」を発足させ、幸徳と堺が日露戦争反対の論陣を張り始めた頃なのだ。
なんとも「自由」で、こんなところにも概念としてでなく、現実として「自由」を生きようとする幸徳と仲間たちの姿が感じられ、改めて時代の感覚を知る。
しかし、その後は「真理、正義、道徳」そして「自由」を実現させようとした幸徳は「大逆事件」で国家権力により命を奪われる。
堺利彦は、幸徳の死刑が決まった後「なんだか自然の成り行きのよう」だと幸徳に言った、と幸徳の遺稿「死刑の前」に書かれていた。ふだん温厚で知られた堺も、拙速にことが進められて、幸徳の裁判なき判決の事情を知った夜は荒れて泥酔し、「街頭や道路工事の赤ランプをけとばして壊し」たという(黒岩氏前掲書)。
石川啄木、永井荷風、与謝野晶子をはじめ、大逆事件で幸徳らを擁護する発言をした文学者は多くいたことは有名だが、事件について一切言及のない――また社会主義者とは距離のあった――夏目漱石でさえ、『それから』のなかで幸徳を登場させ、監視する権力の動きを「現代的滑稽の標本」と主人公・代助に語らせている。われらが杉村楚人冠が、菅野スガから密書を受け取っていたとすると、朝日の大記者は何を思っていたのだろうか。
「真理、正義、道徳、自由」の人・幸徳秋水が、何を考え、何を言おうとしたのか、それらを最もよく伝える作品が『二十世紀の怪物』であり、獄中で書かれ刑の執行のために途中で終わる彼の遺稿が「死刑の前」だった。
「自由」を生きた人の軌跡を改めて時代に刻印した。編集者としてのそんな願いとともに、両作品を、光文社古典新訳文庫『二十世紀の怪物 帝国主義』に収めた。原文の、漢文書き下しの文語文――それも見事ですが――を読みこなし、味わい尽くせる人がかなり限られてきたのが現代の事情ではあるが・・・。 幸徳を「危険な人」「急進的」などのイメージを抱くことすらもない若い人たちも読みやすいよう、思いきってわかりやすい訳にしてあるという。100年以上前に書かれたとはいえ、現代的諸問題を含んでいる。ごり押し政治に、軍国主義化、子供や女性の隠れ貧困、格差拡大などを、歴史的事実を引用しながら鋭く丁寧に分析している。「自由」を体現した幸徳秋水の言葉を改めて思い返して、考えてみたい。
参照:
BRONZA 6/10 佐藤美奈子
いま、幸徳秋水『二十世紀の怪物』を読む意味 「自由」を生きた人が辿った軌跡
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