小学生のころから、図書館は大好きな場所の一つだった。自転車をこいで図書館に行くワクワク感は、大人の集まる場所に行くようで、特別な誇らしい気持ちにななるものだった。そして今は、リサイクルして資源の還元を重んじる海津新菜のコンセプトに、図書館はぴったりと合っていて、静かで刺激があり、リラックスできる場所としてありがたい。そんなわけで、引っ越した場所では図書館にすぐいく。子育て中もベビーカーを押しながら図書館で本を選んだ。
我孫子に転居した頃(1987年)はアビスタはなく、図書室程度のしつらえが市民会館の一角の手狭なスペースに押しこめられていた。東京から転勤で暮らした芦屋でも、図書館はそれなりだったが、屋根裏部屋のような状況の図書室の我孫子であったため、千葉の田舎だから仕方ないのかと侘しく思って、やはり東京に劣るのは千葉ゆえとおもっていた。
ところがある日、隣町の白井(当時は、市ではなく町だった。千葉県初の女性市長を誕生させた)に行って、驚いたことに図書館が素晴らしいのだ。東京では望めないような通しガラスをはめ込んだ先に見える庭園も手入れがよく行き届き、デザインの質が市民の質を表すのではと思えるほど感じの良い建物だった。人口が少なければ住民税が東京よりも少ないのだから、田舎のほうが文化レベルが低くなると思い込んでいたので衝撃的な事実をみた。地域の文化格差は人口比ではないと知った。実のところ、我孫子の公共施設のシンボルとも言うべき図書館の貧弱さは、税金の使われ方の意識の低さにあるのではと気づかされた。目から鱗というか、我孫子市の税金の使い方について考えさせられ、図書館大好き人間は、多少とも我孫子の行政に対して一般市民ながらも、憤りに似たものを感じたのだった。
思い返すと、子供のころ、「世界文学全集」というものが毎月発刊され、近所の本屋さんが家に届けてくれるのが楽しみだった。長閑な時代だったと思う。その本のある巻にたまたま、イギリスの歴史について解説がのっていたのを今でも覚えている。英王ヘンリー8世はキャサリン妃との間に男子に恵まれず、これを離婚してキャサリンの侍女だったアン・ブーリンと結婚したという話の顛末だった。当時の宗教上(カトリック)は、離婚を認めないため、王は手続をさかのぼって結婚そのものを無効にした。ヘンリー8世はキャサリンとの離婚に際し、教皇庁と袂を分かちイギリス国教会を設立したというものだ。現代の日本の皇室は、推古天皇の他に何人かの女帝がいたのだが、維新後の大日本帝国憲法で男性長子の皇位継承となった。もっとも、男性ばかりで継承するのは無理があったはずなのは、養子縁組の特異な日本の家系存続システムをみればわかることだから、そろそろ女性天皇も考えようかとの機運もおきた訳であったが・・・・。歴史の表向きと裏の事情に想像を逞しくしたのも本からだった。イギリスは、教会を変え、女性の君主も受け入れ、産業革命の時代に変わっていく。
特にイギリスは、女王の治世に反映すると言われた。女性宰相・サッチャーの時に黄昏の英国も復活した。現代のプリンセス・キャサリン妃は国内外からますまず注目の的、先月2日には第二子シャーロット・ダイアナ・エリザベスを出産され、ますます女性として輝く。スポーツ万能で健康的、英国ファッションをリードして、バッキンガム宮殿は観光スポットだ。
視線を身近なアジア、女性大統領のいる韓国に移してみると、これもまた複雑な事情の歴史と伝統をもっていたことを書物は教えてくれる。戦前、李氏朝鮮においては、その歴史を通じて男子であっても庶子(서얼、庶孼、庶孽)は差別され、虐げられてきた。朝鮮の基本法典『経国大典』によれば、父親が両班であっても、庶子は出世の道である文科挙を受験することも出来ない。武科挙と、専門職の官吏を選ぶ試験は受験することができたが、朝鮮では武官の身分は文官に比べて低く、また専門職の官吏は「中人」という両班と常民の中間の身分の人間がなるものだとされていた。この中人と庶子を合わせて「中庶」という表現があったほど、庶子の身分は制限されていたのだという。
朝鮮王朝の続いた時代では、奴婢随母法によって母親が奴婢階級であれば奴婢として、常民であれば常民として一生を過ごさなければならなかった(父が功臣、王族の場合には除外)。奴婢の女中を母に持つ庶子であると父を「アボジ(お父さん)」ではなく、「ナーリ(旦那様)」と呼ばなくてはならなかった。しかし、庶子であることを理由に養育を放棄されることはなく、文化的教育も十分に受けることが出来た。儒教では特に先祖の祭祀を男子が行うとするため、男系男子の保存という役割を期待があったからだった。
過去に、庶民は歴史の主役ではなかったけれど、他国に比べて日本では読み書きの初歩的な教育が一般にも取り入れられていた。戦乱のなかった江戸時代に庶民文化は世界に比して豊かに醸成されたのだった。どうもそれが民芸の美に繋がったのではないだろうか、と思うことしきり。
要は、図書館の建物の見事さではなく、どのような形で子供の教育をするかでその町の品位が決まってくるのではないか。後の世の変化をどう乗り越えられ、その思いが継承されるか、そこそ私たちは注目してみるべきのようだ。我孫子の人々が子供たちに郷土の良さをどう伝えたか、それがどう変わっていくのか、そういう点では実のところ民パワーに物凄く期待している。
2015年06月26日
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