現代最高のバレリーナと呼ばれ、モスクワのボリショイ劇場で長年にわたりプリマ・バレリーナを務めたロシアのマイヤ・プリセツカヤさんが2日、心臓発作のためドイツで亡くなった。89歳だった。自伝「闘う白鳥」は、“Я, Майя Плисецкая...”(私、マイヤ・プリセツカヤ)の日本語訳(1996年)。ぶ厚い本なので、バレエや彼女に興味がない人は読むのが面倒なジャンルかもしれませんが、読むと絶対感動します。80歳を超えても現役で世界の舞台に立った姿も、自他に厳しい生き方そのものであり、人間的に尊敬に値します。
ソ連時代のモスクワで芸術家を多く輩出する有名なユダヤ人一家に生まれました。1934年、帝室バレエ学校に編入。1938年、父親はスターリンの粛清により処刑され、サイレント映画女優だった母親はカザフスタンへ強制送致。しばらくの間真相は知らされず、マイヤは母方のおばにあたるバレリーナのスラミフィ・メッセレルの養子となります。1960年にボリショイ劇場のプリマとなるが、アメリカに移住した伯父の存在等が災いして、マイヤさんには長く外国での公演が許されず、KGBにも24時間監視されました。「危険人物」視されていたのは、体制におもねることなく、従って特権も受けず、周囲の中傷・嫉妬をものともせずに、自らの才能のみを武器にバレエ芸術を追求した著者の姿勢のためとも推察されます。
西側世界に初めて登場すると、バレエ界に大きな衝撃を与えることとなる。「瀕死の白鳥」を演じ、当たり役とし、美しさと優れた芸術性を備え、「白鳥の湖」や「眠りの森の美女」などの作品で世界中のファンを魅了した。跳躍の高さ、柔軟で大きく反る背中、技術の確かさ、カリスマ性すべてにおいて高く評価された。世界中のバレリーナは、プリセツカヤ以後、技術の完成度でも演技力でも、より高度なものを要求されることになったと言われます。
ルドルフ・ヌレエフ、ナタリア・マカロワ、ミハイル・バリシニコフらが西側へ亡命したのに、プリセツカヤは、社会主義のソ連の中で闘いながら踊り続けました。シルヴィ・ギエムらが登場して、「足を高くあげればいい」という踊りが流行った時も、「私ももっと開脚できるけど、足を高くあげればいいというものではない。あくまでもバレエの美しさを守って踊る」と。
ソ連崩壊後の93年に舞踊生活50周年を記念し、ボシリョイ劇場で踊った。バレリーナとしては、驚異的な長期間にわたって現役生活を続けた。また、数多く来日し、公演を行いました。
2015年05月04日
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