多くの文学者が「日本文学の骨子は『源氏物語』で大枠が完成した」と述べています。
紫式部の著作による、この宮廷文学の根幹をなすテーマは「もののあはれ」だと習います。
「どんなものでも永久、永遠なものはなく、必ず、はかなく終焉を迎える運命にある」という、世の中の現実を直視した考え方で、後の平家物語にも「諸行無常」という言葉で表現されています。
日本文化は、そうした人の命の「はかなさ」を直視して受け止める考え方が、仏教思想と共に底流にとなっているのだそうです。
確かに、日本の国土は地震ばかりでなく、湿潤な気候によって、西洋の建築物のようにれんがや石造りをもって千年単位での使用に耐えうることは不可能です。民族が大自然の厳しさに耐えてきた風土と歴史そのものが反映されてきたのです。
英国風のイングリッシュガーデン、ローズガーデン(バラ庭園)などがが、花の盛りを堪能するけれど、
通りや参道に植えられて、待ち行く人を楽しませる桜
その散るさまは風にまう雪のように花吹雪のように後を残すことなく消えてしまうのも美しい。
薔薇は椿は大きいが、それは枯れ姿も見せる。
「桜の花」中でもソメイヨシノは、パッと咲いてパッと散ってしまう、
これに「もののあはれ」の精神を有しているとみる向きがあります。
まさに桜の花こそ、「源氏物語」において紫式部が看破した「日本人の精神の根幹」を表現していると言えるとみるのです。 日本人の精神には、明日をも知れぬ世の中で、今日という一日を大切に生きる、目の前の仕事に真剣に取り組む、などの行動を産み出しているのかもしれない
『平家物語』の冒頭に「盛者必衰の理」という言葉があります。
この世に存在するありとあらゆるもの中で、永遠に続くものはない。
争いを繰り返して、どんなに勢いのある者もいつかは衰え、滅びる、ということを
それを「無常」といい、はかないことだと記しています。
「もののあはれ」とは、しみじみと深く感じる情感や哀愁を感じてのことで、まさに切なく無常であり、はかなさを惜しむ心でもあります。父が亡くなり、友がなくなり、母も、そして子までもなくなる
そんな人の一生に起きることは、自然をみても同じように起きている、
夢のように一瞬のことともいえる。
だからこそ、この今、この一瞬を大切に生きるしかない。
何事も、生涯に一度限りという気持ちで人と会える、知るという機会を大切にしたい。
ハナミズキ、春蘭、すずらん、モッコウ薔薇、アスパラ、ルッコラ、ヒメジヨンまで花をつけている
5月が終わると草むしり、庭木の剪定が大変だ
そんなことを長閑に考えれいられるようになった日本という国にいられることにも
感謝しなくてはならないと思うのです
・エベレストの標高が変わった可能性も、ネパール地震
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150501-00010000-nknatiogeo-sctch
・埼玉県国際交流協会、ネパール義捐金開始
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00010006-saitama-l11
・群馬県内留学生らファンド立ち上げ募金募る
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150428-00000031-san-l10
・今度は支える番 東北で義捐金の輪拡大
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150429-00000002-khks-soci
2015年05月01日
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