2015年04月18日

B.リーチからの英文書簡(1929年2月10日)

東大総長賞に選ばれた学生は、異文化に関心強い若者たちだった
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150420-00000011-sasahi-soci
そして、百年前は東京帝国大学と称されていたが、柳宗悦も卒業生だった。
同様に世界に向けた関心は強く、英国人のバーナード・リーチとも懇意になった。
柳がいなければ、我孫子の世界的な芸術家村の展開はできなかったことだろう。
下記は、リーチから出された柳への手紙、我孫子での日々の懐かしんでいます。

Letters between
Soetsu Yanagi and Bernard Leach

Feb.10th 1929
My dear Yanagi,
I would indeed have it so, for the retrospect of life with you, especially at Abiko,is of the happiest & fullest time in my life. The fullness which has come upon me often seems outward & empty in comparison. How often I long to share an adventure of the mind, especially those outreachings towards truth which we call religions, with you. I have often regretted that I missed opportunities at Abiko in not sharing more those approachs---Fate does not offer the same twice.


Bernard Leach
上記英文訳 ↓
PEACE&FRIENDSHIP PEACE&FRIENDSHIP  PEACE&FRIENDSHIP
君と共に生きた追憶、特に我孫子での生活は、私の人生の中でもっとも幸せで充実した時代だったといえる。その充実感の素晴らしさを今と比較すると、今は表面的で空虚に思える。君と再び精神の探求をすることを幾度望んだ事か! ……運命は二度と同じ機会を与えてくれはしない


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..................
「柳宗悦とバーナード・リーチ往復書簡集(1912〜1959)」が、学術研究用にと、昨年刊行されていたので入手しました。

 今から百年前に、我孫子に住んでいた柳宗悦ですが、留学していた訳ではないのに、乞われてハーバード大学で英語で連続講義して、感動の喝采を受けるほどの理論性とハートフル(Heartfelt)な言葉の使い手でした。なにぶん英国人のリーチと英語で喧嘩もしたくらいだそうで(?!)、そしてもちろん、すぐに『和解』することが出来たのは、我孫子だったからでしょうか。

占春園.jpg

 叔父の嘉納治五郎(講道館創始者、現・筑波大学学長/東京師範校長、日本体育協会会長。我孫子の別荘人の草分け。)も、同様に英語の使い手であったそう。熊本五校校長の時には、ラフカディオ・ハーンを教師に雇い、丁々発止にやり取りしていたそうです。さらには、戦前のオリンピック誘致の為に奔走していたのは我孫子では近年有名になっていますが、クーベルタン男爵にアジアからの参加要請を直談判だ頼まれて、周到な準備をして、開催地決定の投票のロビー活動に力をいれ、皆をうならせ、カノウならなにごとも可能にできると信頼が高まって、英語のスピーチの内容でもうならせるものがあったと、誘致に成功するのです。しかし、決定の後の帰路の船上(当時はカイロへ行くために一か月ほどかかったとか)で急逝されました。そのころも、我孫子の別荘生活、農園作業に息抜きに来ていたという。79歳没




posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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