2015年04月10日

「天皇の島」を訪問される天皇陛下

戦後70年の「慰霊の旅」として、天皇、皇后両陛下は8〜9日、太平洋戦争の激戦地、西太平洋のパラオを訪問された。

戦没者慰霊を目的とした海外訪問は戦後60年の米自治領サイパン以来2回目。日米両軍約1万8000人が戦死したパラオ訪問は、両陛下の十数年来の希望で実現することになったそうです。

戦後70年を迎える事を受け、政府は今年度から10年間を遺骨収集の強化期間と位置づけ、遺骨の収容を進める方針です。しかし、終戦から70年という歳月による風化等により、遺骨の捜索・収容は過去以上に困難が予想されます。第一次大戦の戦後処理の結果、現在のパラオを含む南洋諸島は日本の委任統治領となり、第二次大戦では主要な戦場の一つとなりました。この地域における戦闘の中でも、熾烈を極めた攻防が行われたペリリュー島は、米軍から「天皇の島」と呼ばれた事が知られています。両陛下にとっては因縁浅からぬ場所と言え、9日にペリリュー島の慰霊碑を訪問される事は、歴史的にも意義のある事です。

両陛下が訪問されるペリリュー島にいた日本軍1万人はそのほとんどが戦死し、その中には労働者として徴用されていた3000人の朝鮮人も含まれています。わずか13平方キロメートルの小島で1万人が亡くなりほぼ全滅、生き残った方は50人前後だというのでした。そして、日本国外のアジアから太平洋の広範囲な地域では、日本兵、民間人が亡くなりましたが、その半数の遺骨が未だに異国の土、あるいは海中で眠り続けています。日本政府は230万人(1937〜45年)という数字を公式に採用してきました。だが、彼らがどこで、どのように亡くなったかについては不明確な点が多く、「6割が餓死した」との統計もでています。神風特別攻撃隊を題材にした小説、映画が話題になっている今。約4000人とされる航空特攻による戦死者以外の、229万人余はどのような最期を遂げたのか、知られないままが多いのです。

そしてなにより、遺骨収容を担う人出が不足しています。戦没者の遺骨収容事業は厚生労働省の管轄ですが、現地で収容を行う人員はボランティアがその主力になっています。多くのボランティアは、少なからぬ費用を自腹で負担している状態で、ボランティア個人や団体の意志が、遺骨収容を支えています。

約240万人の海外戦没者のうち、平成25年度末時点で収容された遺骨は127万柱。未だに113万柱が未収容のままで、このうち海没により収容困難な遺骨が30万柱(海没遺骨の扱いについては、拙稿「戦艦武蔵発見で考える海没遺骨」を参照)、住民感情など相手国事情で収容困難な遺骨が23万柱ありますが、収容可能とみられている60万柱は未だに外地で眠り続けています。

このニュースのフォロアーから、
「国民全体の問題で有り遺骨収容を一定期間は国民に義務化する事も過去を見直す良い機会 太平洋戦争の総括が出来る 残された時間は限られて来た 戦死された英霊の為にも日本人はやり遂げねば成らない!」との書き込みがされていました。なるほどです。

70周年のこの夏、安倍首相は靖国に参拝しないとは言っても、政府としてどのような総括がされるのか、世界中が注目していることでしょう。一億総懺悔、平和憲法、風化、そして、また戦争のできる国になった、じゃ浮かばれませんよ。


参照:
Yahoo Japan ニュース4/8

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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