2015年03月28日

選挙がされる意味

2015年の統一地方選は、道府県と政令市の首長、議員選挙が4月12日、それ以外の市区町村の首長、議員選挙は同26日に投開票されます。昨年2月には、大阪市長を辞任・再任の市長選があって、橋下徹・大阪市長として再選されたこのところは、党共同代表を辞して、今回の統一選に睨み都構想実現に取り組むと宣言しており、統一選での注目点とされます。
http://senkyo.mainichi.jp/news/20150101ddm010010030000c.html

その大阪市長の辞職、再出馬の出直し選挙は、無効票が白票の45,098票を含めて、過去最多となる67,506票に上り、投票総数の13.53%を占めたというものでした。この無効票は、当選した橋下以外の3候補の得票合計を上回る票数となったと報道されました。

さらに、報道によると選挙があれば投開票の人件費を含め6億円、選挙が無くても掲示板、投票用紙など4億円の費用が掛かるとの試算が出ていたのです。民主主義とはいえ、都構想に反対する自民党や民主党、共産党などの主要政党が対抗候補を立てない異例の構図の中で再選となりました。選挙を通して考える機会を市民社会にスルーさせないようにしたものの、政党の候補者が立つということで議論を戦わせるでものではありませんでした。

我孫子市では無投票だった市議補欠選も、候補者となる人は実際に、ポスター、事務所、選挙カー、スタッフなど必要な補欠選が無投票になっても、準備してきた個人の選挙費用はゼロではないはずです。他方、投票用紙・投票所入場券・ポスター掲示板・立候補者説明会など告示までに一定の経費は使われるのです。民主主義のコストといえる部分です。

最近、兵庫県の某市長選挙では、4回もが無投票となっており、平成15年、19年、23年に続き4回連続で無投票たったといいます。有権者に選択の機会が与えられなくなり、一方で投開票がないことで、市が負担する選挙費用が軽減された側面もありました。しかし、それを民主主義の“節約”につながったことを評価するのか、どうか。前回2011年のデータですが、道府県議会における無投票選挙は実に41都道府県の987選挙区のうち、263の選挙区で、合計410人の無投票当選者を生み出しました。これは定員の18%にあたります。

もっとも、信じたくないような内容の話も耳にします。「無投票選挙にするために、対立候補が出ないように抱き込む」などという類の話です。徹底的に選挙にならないよう圧力をかけたり、もしくは”刺客”を出馬させる、票を割るように同地区から泡沫候補を出すなどということも、政治の駆け引きとしてはありそうな話にされていきます。利権が絡む地域性があれば、凄まじい働きかけがある、組織を動員して事前活動のできない無所属候補(政党に所属していない)に対して行われることもありそうです。もっとも、大阪市の場合は、現職辞職によっての突然の選挙で期間も短く、問題になる事前運動もあり得ない話でしたが、民主主義というルールは色々な齟齬が出るという一例です。

民意とはなにか、我孫子の場合、無投票の可能性の高かった市長選、県議選、思わぬ市議の補欠選挙の無投票の成り行き。このところ、最低の投票率を更新している市議選についても、貧乏度ランキング、地下下落ランキングで上位を占める我孫子となっている街のありよう(高齢化率は東葛地区トップ)を、4月の選挙にむけて考える機会です。選択できる選挙権の行使を8割近くの市民が捨ててしまった大阪市の特異な例もありますが、この際に、候補者のこと、応援する側のことなど含め 選挙の意味について皆様のコメントをお教えください。(下記より、表示されますが、お名前の掲示、匿名も可能です)


posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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